そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

生きたSMに触れる

昔のSMクラブには女王様とMの教育機能がありました。

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(写真は2004年頃のプレイルームでの1枚)

お客さんであるMと、先輩女王様のプレイを新人女王様が見学に入りプレイの現場で生きたSMを学びました。お勉強的な「知識」や「作業の手順」を覚える講習とは違う実践的な勉強でした。

講習の為のプレイではなく、お客さんを相手に仕事の(売り物の)プレイを見るのはプロのプレイヤーを育てる上で大きな意味のある教育です。プレイを見せる先輩にも緊張感が生まれます。

 

昔から、1人のプロの女王様が育つにはMの支えに拠る部分が大きいものでした。女王様がお金を払ってどこかにスキルを資格取得するかのように勉強に行って学ぶのではなく、マゾ達の捧げてくれる愛ある敬意・金銭的な援助・体と時間の提供で1人前の女王様が育ちました。

私自身も沢山のマゾに育ててもらった1人です。

 


最近のSMを実践される皆さんはとても勉強熱心で作業に関するスキルは高いものがあると思います。

しかし、SMは作業以上の心のやり取りが最も大切な世界です。プロの女王様になると言うことは、プロとして大勢のお客さんを魅了しリピートさせて初めて専業女王様として生きて行ける厳しい世界です。

心に溜まった澱を吐き出したり心のガスを抜きに来るマゾに作業の鮮やかさを披露した所で長続きはしません。

体を悦ばせ日常を忘れさせるには、テクニック以上のものが必要になります。

今は心の疲れた人が増え続ける時代です。

新しい人が自由にプレイを楽しむ事を覚えて、Mを気遣い心を軽くしてあげる事が必要だと思います。

だからこそ、私のような20年オーバーのプレイヤーが育った頃の専業女王様を育てる教育機能を少しでも取り戻せたらと考えています。

 

SMクラブを運営する事でその機能を戻せないかと思いましたが、私がプレイする事ばかり増えて時間的な余裕が無くなってしまったので断念しました。

でもその時やりたいと思ったモノは諦めていません。

ずっと何かの形で再興したいと考えて来ました。

 

パーティーなら私も時間が作れて、長年現役でやってきた仲間である女王様もプレイ出来ます。

マゾ達の払う参加費でプレイパーティーが開かれ、そこへSMを知りたい女性達が無料で参加しプレイを見学したり手ほどきを受けながらSMを覚えて行けます。

マゾの支えで女王様が育つ、SMに傷ついた女性がもう一度SMを好きになれる場所にしたいと思っています。


そして

古き佳きSMを取り戻し、新しい時代に意味のあるSMを手渡したいのです。


プレイパーティーは自分やラミィーさんの時間許す限り続けて行くつもりです。

 

新しい扉を開けたい方は、いつでもドアを叩いて下さい。

SMを必要とする方に扉は開けてあります。

 

 

ヘテロかレズか、SかMかなんて所詮誰かのカテゴライズ。

 

 

 先日書店で欲しい本が見つからず、近いカテゴリーの本棚を何周もしながら探していました。

そこに「ナタンと呼んで」と書かれたイラストが表紙の本に目が留まりました。副題は「少女の身体で生まれた少年」。

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あまりこのジャンルの本を読むのは得意ではないのだけど、なんとなく気になってパラパラとページをめくってみました。

その本は活字の本ではなくバンド・デシネというフランスの漫画でした。

 

普段エロ漫画以外の漫画を読むのが苦手なので、ああ文章で書かれた本じゃないんだ。と本棚に戻そうとしました。

でも、最後に目に留まったページが引っ掛かり

もう少し先まで見てみようともう1度本を開きました。

 

お話は主人公の女の子が中学1年生ぐらいの頃から始まります。

お母さんを喜ばせようとワンピースを着て5分で脱いでしまったこと

おばあちゃんにハローキティのリュックをプレゼントしてもらったけど、自分はレーシングカーが欲しかったこと。

そんなことから始まり、主人公は少しずつ成長していきます。

 

小さな出来事のピースが散りばめられ私の中の記憶の扉がノックされたのかもしれません。

(お話のつづきは、本のネタバレになってしまうのでここで書くのはやめておきます。興味を持たれた方はどうか書店で購入してみて下さい。)

 

私はトラウマが多くて、中学生から高校生ぐらいの細かい記憶がありません。

断片的に強烈なものだけ残っている程度で大部分が消えています。

この本の主人公の行動と心の声を読みながら、その自分で扉を閉めて鍵をかけていた記憶がザワザワと扉の向こうで騒ぎ出すのを感じました。

 

本を買って、少しずつ少しずつ読みました。

何となく怖くて。

読み進むうち沢山の場面が再生され始めました。

 

私は子供のころ成長が早くて男子よりも早く背が高くなりました。

見た目も男の子みたいで授業の休み時間は図書室で過ごすか、たまに教室で男子とプロレスをしたり女子とは違う過ごし方をすることがほとんでした。

着る服もズボンばかりで、親が買ってくるフリルやレースのついた服やピンクの服が嫌いで

「あんたは(方言)新しい服を買ってやっても喜ばないから買わない」なんて言われることもしばしば。

可愛いバッグを買ってもらっても嬉しいなんて感じなくて、男子の持っているロボットや車のついたものの方が欲しいけど親に言えずせっかく買ってもらったものを粗末に扱うと叱られたものでした。

 

私と同い年のいとこがいて、良く一緒に遊んでいたのですが彼が買ってもらったロボットの玩具が欲しくてよく喧嘩しました。

私の実家は旅館で、両親が仕事をしている間そのいとこと旅館の廊下を三輪車で走り回っていました。彼の三輪車は仮面ライダーで私のはピンクの可愛い女の子用だったのでそれが気に入らなくて彼の三輪車を奪って泣かせることもあったようです。

大人になって私より20cm以上大きくハンサムに育った彼に「今でも俺、さーちゃんにひっかかれた傷が顔にあるからね」と言われて不思議と萌えたのも妙な思い出です。

 

それはさて置き。

 

私が通ったのは幼稚園から高校までの一貫教育の学校だったのですが、初等科までが共学で中等部からは女子校でした。

 

小学生の頃に同級生の女の子をトイレに誘ったり近所の子供とお医者さんごっこをしたり、私のSとしての性癖は既に発芽していましたが女子校に入ってからは少し状況が変わって行きました。

 

小学3年生の頃から始まったクラスメイトの奴隷のような女の子は私のやりたいことの要求が増していくことに怖気づいてしまったので、すっかり興味を失っていき

中学に入ってから彼女は私の気を引くためか、私の目の前で他の子にキスをしたりストリップをしてみせたりするようになりましたがもう気持ちは戻らず、彼女と再びキスをすること無く終わりました。

残酷な話だなと今は思います。

 

女子だけの空間で私はクラスで2番目に背が高く、ショートカットで体が大きかったせいか男役でした。

 

中学の間に女の子同士の陰湿な人間関係に触れて凄く病みました。

それで少しずつ男性への興味が芽生えたのかもしれません。

 

とにかくセックスをしてみたい。

そればかりに囚われて行きました。

(もっとこの辺は昔からのストーリーもありますが書く勇気がまだないのでここでは触れません)

 

それから

高校生になって出来た親友は私の言うことを何でも聞きました。

二人でいつも一緒にいて、セックスの話をしたり、オナニーの話をしたり、形が綺麗なおっぱいを見せてくれたり、プレイはしませんがいつも一緒に過ごしました。

私が親に反発して家出した時は何度か一緒についてきました。

家出中にセックスをしてみたいと願っていた彼女の初体験を、私が段取りして傍で見守り

終わった後は二人でどうだったこうだったと凄く楽しく話しました。

私のセックスも見せたし、彼女とは男以外とにかく何でも共有しました。

 

うちの親が厳しく、家出する度父は会社の役員に命令して探させ何度も何度も連れ戻されました。

それが何度か続くうち、厳格な家の厳格な親の口から「あんたたちもしかして・・」

なんて言う言葉も出るぐらい一緒にいた親友でした。

いや、親友というより奴隷だったのかもしれません。

 

また話が逸れてしまいました。

過去を振り返るって難しいですね。

 

セックスしてみたいとかエッチなことをしてみたいという願望が「誰かからそういう行為をされたい」という方向性のものではありませんでした。

ここがきっと、私のこれまでの人生で一番苦しんだ部分なのだと思います。

 

日本では特に女性は男性に従うような立場で、男性に養われる、男性に抱かれる、男性弄ばれる・・・等々ほとんどの関係性は受け身であることが当たり前です。

私は、それがダメでした。

自分がSだとかMじゃないとか、そんなことは全くわからなかったけど

心の底から受け身には絶対になれませんでした。

相手が安心して喜ぶなら、そう思われてもいいと感じたことはありますがどこまで行ってもM的な立場は不快で心から心地よく過ごすことはできませんでした。

 

初めての恋人、初めてのセックス、初めてのSMのようなプレイ、いつも自分主導でした。でも、恋愛して結婚すれば日本的な女性の在り方を求められ私のやりたいことは認められないもので、何度も破綻しました。

愛情に関しては情熱的過ぎるので好きなったらすぐにとことん愛しきりたい気持ちになって結婚までしますが、私の複雑な内面を理解されることはなく長続きはしませんでした。

 

そのうち、高校を出てセックスも恋人に目隠しをして手を拘束するようなSM要素が加わり始めます。

その当時、バブル全盛期でディスコのお立ち台に夢中になりました。

ボンデージを着たり、ニーハイブーツにミニスカートでお立ち台に立ち踊ります。

欲望の眼差しを向ける男を足元に見ながら体をくねらせ踊る時間は最高の快感で

視線が絡みすぎれば「見るな変態」と見下すのです。

 

父はいわゆる地元の名士で、どこに行っても「あそこの娘」と言われました。何かをやれば翌日には父の耳に入っているような環境の地元の街で暮らすのが息苦しくなり、家出同然にある日突然車に乗って着の身着のまま飛び出しそのまま福岡に住みました。

 

福岡に着いて一番先にやったことはスポーツ新聞を買って、玉屋デパートだったかデパートの公衆電話から三行広告SMクラブに電話をしたことでした。結局その時は怖くて面接にも行けなかったのですが。

なぜ真っ先にSMクラブに電話をしたのかももう思い出せないけど、とにかくそんな感じで福岡に出て毎晩一人で踊りに行って遊んでるうち年上の女性から

SMクラブで働かない?」と誘われたのが今の仕事に入ったきっかけです。

 

話しは長くなるので一気に割愛して結論へ向かうことにします。

 

仕事でSMを始め、プライベートで恋人との関係もSM化していき「日本一の女王様になりたい!」と恋人と別れ上京しました。

 

東京はSMのメッカでもあり夢の中心地だと思っていたのに、現実とのギャップの大きさに傷つきしばらくひきこもりになってしまったこともあります。

SM業界にいると、同業者の男性から誘われることも多くありました。

そしてそのアプローチのほとんどが、女王様もプライベートはMなんでしょ的なよくわからないアレ。

 

実にくだらない。思い出しても本当に吐き気がします。

 

私は別にMになりたいと思ったことはないし、なれた方がよっぽど生きるのが楽なんじゃないかと苦しんだことが何度もありました。

だけど願望がない。

いやむしろ、生理的に受け付けない。

こんな簡単なことが理解されないなんてどうかしてると思います。

 

私は仕事では女優さんと一緒の控室より男優部屋にいた方が心地が良いです。

それは男が好き、とかじゃなくて「自分らしくいられる」から。

昔からそうでした。

女の子にはいつも気を遣う。意識するというのか

男性だと気が楽。ただし、女として口説いてくる人間には敵意を抱く。

興味あることも男性の方が合うことが多いし距離感がちょうど良いと感じます。

 

 

女王様という仕事に就いて、東京に出てきたらネットでルックスを叩かれたりしました。

自分には譲れないSMがあると自信を持っていても、外見で受け入れられないなら変えてみようと、仕事の為にとメイクや髪形を女性らしくするように努力してみました。

そうすると、今まで自分になかった女らしさを表現することが面白いと感じるようになりました。

最初は女っぽい恰好をして女っぽく振舞うことは自分にとって女装のような感覚でした。

でも、そうするうちに女として過ごすことも悪くないと思うようになり

歳をとるごとにトゲトゲした部分が取れて、今のようなふんわりした人間に変化していきました。とても気楽です。

男だけどメイクをしたい、そんな感覚とベクトルは一緒なんだと思います。

 

私は女であって心は女ではない違和感

女であってMではない生きづらさ

Sだからと言ってわざと男のように振舞うことに対する抵抗感・・・

色んな人とは違う部分の違和感に気づきながらやり過ごしてきた。

 

ナタンと呼んでを読んで、そんな誰かの決めたカテゴリーに属せなかった過去の自分に気づきました。

そして誰かの決めた何か、じゃなくて「自分らしい自分」それだけでいい。

そう再認識しました。

 

私のように性への違和感を早くから感じながら悩んで生きて、やがて結果生まれた性を受け入れ楽しむようになる事もあると思います。

だから子供のうちから性同一性障害と診断して医療的なケアをしすぎるのは、どこかひっかかるものもあります。その判断は本当に難しいものだと感じます。

 

LGBTは地位を獲得しつつある時代ではありますが、SMはまだ単なる異常性欲者の性風俗として面白おかしく扱われることがほとんどです。

SかMかという体に沁みついた持病を抱えた人たちもいることがもう少し認知される時代になれば良いなと願っています。

 

拙い文章ですが書いて残すことで、性癖が原因で人生の選択に苦労している女もいることを知ってもらえればと思います。

そして

この歪んだ人生を、自分らしく真っ直ぐ愛を求めた人生だと自分で受け入れられるようになってきたから、やっとこうして書けたんだと思います。

 

Sだって全力で人を好きになれば甘えるし弱いところも見せる。

人を愛するのに男か女か、SかMかなんて識別信号でしかない。

人が人を愛すること、自分らしく生きることを胸を張って楽しみたい。

そんな気持ちです。

 

長々最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

教室の生徒さんの目から見た流儀の感想

安全な縛りをする為の縛りの基礎を教える「結びの教室」をやっているのですが

(現在お休みしてます)そこにずっと通ってくれていた生徒さんである方の感想が届きました。

長いこと苦労している様子を見せてしまっていたので、彼女からの言葉は胸が熱くなりすぎて一人で読むには惜しく・・・ブログで皆さんとシェアしたいと思いました。(了解はとってあります。)

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夏樹さん
こんにちは。
いつもTweet拝見しています。

すごく遅くなりましたが、先日の夢のような時間だった流儀、他公演について少しだけ感想がまとまりましたので、ちょっと一方的ですがお伝えできればと思い、LINEします。

流儀


夏樹さんに手配していただいたおかげで、盆の上手側、前っつらの座席に座れました。
近づき過ぎたかな、とも思いましたが今回はここですごく良かったです。

というのも、普段よりも手元がすごく良く見えたのと、なんといっても息遣いや祈るようなあの瞬間を間近で体感できたからです。

いつもは少し離れたところから空間ごと見るのが好きでした。キリストンカフェで体感したあのなんとも云えない感情の圧をいつも追いかけていたのかもしれません。

11人のパートナーさんに合わせたオーダーメイドのようなショウは、ぐいぐい引き込まれました。

その引き込まれる要素の1つが、よく見れた手元の作業です。

教室のときに、ことあるごとに留めることで安全度を上げることその方法、縄の摩擦を軽減する気遣い、二巻した際の縄目を4本揃えるひと手間、カラビナに縄を掛けたあとねじれてないか、すべての工程で確認していること、縄の始末、無駄のない本数、飽きさせない、集中を切らさないスピード、テンポ、全部教わったことで構成されているという感動。
すべてパートナーさんへの最大限の気遣い。

あの教室で全部全部出して惜しみなく教えてくださったんだなあ。
私がここまで理解できるのは、すべてはちょうちょ結びの重要性と、重心の概念でした。

パートナーを守って導くためにいくつか条件があると思いますが、その1つは絶対に技術だなと。
正しい技術。ほんとに改めて。

すごく今更なのですが、いつも空気感とかそういうところ優先で見ていたので、改めてこういう丁寧な工程がショウの完成度を上げるんだなあと、私ほんとにすごい方に習えたんだなあとしみじみしていました。

続き
そんなこんなでゆりさんとのあのステージ。

結晶を見せていただいたなと。

私、夏樹さんのことは教室でしか知り得なかったし、ポツリポツリとお話くださったなかで(教室での最中も)ずっとギリギリまで耐えて、理不尽をすべてバネにして、ほんとそれは簡単なことではないけれど、そうやって多くを語ることなく次の扉を開けていった、なにかそういう結晶を見せていただいたなと感じました。

ゆりさんの身体を通して、もっとこう歴史を来し方を抱きしめていたのかなあ。

何があっても手放さず続けていくこと、いろんな人がやってきて去っていって良いこともそうじゃないことも、合わせて飲みこんでそれでもこれからも歩いていく強いなにか、うーんやっぱり結晶かなあ、そういう美しさを見た!!と感じていました。

流儀はほんとにそんなイメージでした。

 

通常公演

最終日。
ゆりさんとの関係性がもう少し踏み込んだ?感じに思いました。
テンポよく縛ったとおっしゃってましたけど、2人のテンポって感じでなんだか素敵でした。
素敵だなあ。
このときは後ろの方で、会場ごと見てました。
なにかを解放したようにも思いました。

すごく重いものを下ろしたのかな、区切りをつけたのかな、ていうここちょっと言葉にするの、まだうまくできません。

最近の質問箱


この夏樹さんの回答、めっちゃいいですよね!!
封印解いたような、Just now! な、もう、今!夏樹さんしかこれは言えん!!!というこの的確かつのびのびした回答!!!もうサイコーです!!!

勘違いSM!!!この回答を正面から受け止められるか!!と言ってまわりたい(笑)

本来なら密やかに交歓されているやりとりなはず。

探し求めて探し求めてたどりつける世界なのに、こうやって説明しなければ途絶えてしまいそうなのは、夏樹さんの回答のキレが良い分悲しくもあったりします。

まあ荒れてしまったからこうやってオープンに語るしかないなかで、その恩恵を私は受けているので強くも言えないのですが。。

打ち上げのときに、浜松や関東近郊から夏樹さんに会いにきた女王様やMさんたちは、本物をずっと待っていたんだなあ、と強く感じました。

私も流儀での夏樹女王様のパートはキターー!!と思いましたもの(笑)


苦しいことを妥協も飼いならしも諦めもせず、どうにか解決策を探し続けている夏樹さんにお会いできてすごく幸運です。

ほんとに素人を教室に受け入れてくださってありがとうございます

パートナーに相手に向き合う、というすごく基本的なことをいつも思い出させていただいてます。

ほんとこれからも応援しています。

また予定合わせて乾杯できたらなと思ってます✨
長々と読んでくださってありがとうございます!

最後にやりたいことは未来への種まき

熱い気持ちを抱えてSMを求め「女王様」という職業を選択した女性たちが夢を見いだせず、私が随分昔に撮った作品や日記などに綴った言葉を何年も心の拠り所にしてくれていたことを知り目が覚めるような思いがした。

 

2月に行った上海や海外の新しい女王様たちからも、私のビデオを観てプレイを勉強しているという言葉を沢山もらうようになっていたので、実際に近づいて涙を浮かべて現実を伝えてくれる姿と繋がった。

私は自分の夢の為に、女王様を封印しどんどん陰に隠れて来ているけど新しい人たちの道を照らす光がないのではないかと感じるようになった。

 

実際、流儀の舞台で多分数年ぶりに男性を縛って向き合った時、自分の中に閉じ込め長年鍵をしていた自分の本来の癖が顔を出し息を吸うのを許され喜んでいるように感じた。

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それからまた

ショーの感想が国内外から多く寄せられ

(海外からは写真の感想)

私の落胆して冷め切っていた心が少しずつ熱を取り戻していくのを感じた。

 

 

そんな時、ラミィーさんから私のショーを観てまたSMがしたくなったと言う言葉を聞いて

「またパーティーやりましょう!」

咄嗟に口をついて出た。

そして「私たちは女王様からは逃げられないんですよね。」と笑い合った。

 

いくつになってもSMへの情熱を持ち続けてSMをすることが大事だと感じ、そういう場所をもう一度取り戻したい。

 

次の世代のプロ、アマチュア、SMに興味を持つ人、みなさんに何が出来るかをずっと考えている。

 

性的な活動に参加しなくても縄に触れられて、

お金や階級など関係なく必要とする技術を学べ、

何よりもSMとは何か、理解し、SMは楽しいと感じられる場所を作りたいと使命感のようなものを感じるようになった。

 

そして。

 

先日、私が東京に出て来てから魅せるSMを学ぶために入店し育ててもらった老舗のSMバー六本木ミストレスが閉店することを知った。

ショックでしばらく立ち直れなくて泣いた。

 

古き良きSMを殺したのは誰か、何か。

苦々しい思いはある。

だけど、そんなことを考えても仕方がない。

 

私にできることは

人生の目的もわからず滅茶苦茶に生きていた若い頃から、SMに救われ、SMを愛して生きてきたこの人生を通して見たこと・覚えたこと全てを次の世代へバトンとして手渡すことでは無いかと思った。

 

求められても求められなくても、今までのように地道に自分の中に立てた誓いを守るべく、プライベートから仕事から、これまで語らなかった事も含めて全てを率直に話していく。

 

それが、5/18のプレイパーティーであり

6/1のトークイベントだ

 

いい歳をしてボンデージを着てプレイすることには少し躊躇はあるけど

私よりずっと若い世代の女の子たちが自分たちの未来を想像して、女王様をずっと続けていけるんだという夢になっていると聞いた以上もう少し恥を忍んでやってみようかとも思う。

 

 

流儀までのこと、流儀のこと。

随分前から、次の世代にバトンを渡したいと思いながら

活動してきた。

自分が救われたこの大好きなSMという世界に、何かできる事はないだろうかと。

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緊縛事故の問題や緊縛については、

お金を掛けて環境を整えたものの

同業者で一緒に研究しましょう、改善していきましょうと行動を起こす人はいなかったことにとても落胆した。

マッチョイムズの中で楽しみたい人の世界が今の緊縛業界なら私はその中には居ないし、そこに関りを持つ必要はないと感じるようになって行き

少しずつお店関係やイベント関係の関りから遠のいた。

 

幸い私の主な仕事はAVの撮影現場で女優さんを縛る仕事やものを書いたり作り出す裏方の仕事。横のつながりは仕事に影響しないので精神的に爽やかに過ごせるようになった。

 

SNSなどにも書いたけれど、緊縛師として仕事をもらうようになるには「女王様」という肩書がとてもストレスだった。

男と同じか男以上の仕事をしていきたいと思う気持ちを持ちながら、「女王様」と呼ばれ欲情した仕事をくれる側に時々プレイを求められ卑猥な会話に笑顔で答えるそんな状況から脱したくて何年も中世的な立場で仕事をしてきた。

 

そのもどかしい年月のお陰と歳をとったおかげで、女として見られることが減ったように感じる。

これはとても嬉しいことで、やっと生きやすくなったと感じている。

 

そんな中

今年DX歌舞伎町が閉館するので、最後に何かやって欲しいとのオファーを受けた。

ストリップ劇場で女の子を裸にしてAVのようなプレイを見せたり傷だらけにする表現で溢れている現状で自分のパートナーをそこに並べたくなかった。

だから去年から出演をお断りしてきた。

ところが去年、来年閉館するかもしれない。だから最後までお願いしたい。

そう言われて、SM大会が大宮から歌舞伎町に移って長い期間出演し続けたイベントが終わるなら、その恩を最後まで出演することで返したいと思った。

 

そこで最後にやりたいことは何かを考えた。

 

ストリップ劇場だからセクシーな演出をしなくては、集客のため女優さんや名前のあるモデルさんを呼ばなくては、そういう二次的な要素を一切考えず

本当に自分がやりたいこと(SM)で勝負して終わろうと。

 

 

自分のやりたいこと。

 

それは、自分の縛りが凄いでしょ!

かっこいいでしょ!と見せることではなく

残酷さを愛だアートだと言うことでもなく、

舞台の上で何の打ち合わせも練習もないままの心と心のぶつかり合い、嘘のない時間をお客さんに観てもらうことだ。

 

苦痛の果て、一瞬の煌めきのように外に現れる嘘のない顔、体の反応。

それこそがSM最大の見所であり醍醐味だから。

 

使う道具は何でも良かった。

だけど、私の考えるSM・緊縛の目指す先を示すためにも「緊縛」だけに絞った。

私の流派の縛りは私しかやっていない縛り。

その技を見せる。

 

縛りは手数など限られているものだ。

それをどうにか増やそうとしてこねくり回し、パートナーを物のように人形のように不自然な体制をとらせて雁字搦めにしたりする縛りは嫌いだ。

 

日本人の文化と美意識に反する。

 

私にとって縛りは書道だ。一筆書きの勝負。

線が歪み、縄がたるんだとしても上書きするような手直しは美に反する。

洗練された技は潔く簡潔だ。

縄筋はその人の心や覚悟を表す。

基礎がない人間にも澄んだ縄筋は描けない。

 

はじめて体に触れ、初めて縄を掛ける相手とのプレイは何が起こるかわからない。

上手くいかなかったとしても、それを観客の見守る中対処し、縄を受ける相手の心と体を守り導く。

それが緊縛ライブ。

 

女性、男性、年齢、体系、背景、そんな要素はどうでもいい。

目の前にある縛りを受けたいと思う傷ついた心との対話だけが全てだ。

 

様式美というか、上辺のイメージばかりが受け入れられ浅く広くひろがる現代に

人の生きざま。社会に背を向けた人が傷を舐め合うのではなく、希望をもたらすSMが存在することを生で観てもらいたかった。

その思いで事前に出演者それぞれと会って話しをし構成を考えていった。

 

年明けから1人1人のことを毎日ずっと考えた。

どんな傷を持っているんだろう。

何を求めているんだろう。

そんなことを考えながらパートナーごとのショーの曲を選んだ。

 

ショーで何をやるかは決めなかった。

 

決めても意味がないから。

何が飛び出すかわからない舞台は緊張はする。

だけどそれは私の腕の見せ所でもあるし、私自身困ったり悲しんだりする様を

観てもらって本当の意味で嘘のない時間にしたかった。

 

そして。

 

私の大好きなバンドHeavensDustとまた一緒に舞台をやりたい。

 

私のやりたいことはそれだけだった。

 

ストリップ劇場のSM大会の入場料にしたら

安くした。

女性に沢山観て欲しかったから。

 

私のところに届く声で近年多いのは

緊縛に興味を持ったけど、縄会やSMバーに行くしかない。

性的な接触は嫌だ。

緊縛を通して得られるかもしれない心の対話や救いに興味があるだけなのだ

そんな女性の声だった。

だから、どうしても女性に観て欲しかった。

私が女性たちと交わす緊縛は性的表現ではない。

恋愛やセックスから切り離された心と心の会話、まさに純粋なSMを抽出する時間だ。

 

劇場の売り上げ的には男性が多い方が儲かる。

だけど、最後に私が貸し切りでやる舞台は赤字でも自分で全員のギャラを払う覚悟でお金を用意して準備を始めた。

だから宣伝についても強気で、アダルト関係のお店などにはほとんど営業しなかった。

Twitterで想いを暑苦しく書く程度。

前売り券も、事前銀行振り込みでチケットを郵送する。

昔からアダルト関係の取引はみな匿名の現金書留などで払い私書箱や郵便局留めで受け取っていたのが、今回約50名の方が事前に銀行に振り込んで下さり自宅にチケットを郵送する形で前売りを買って下さった。

これは大きな驚きだった。

 

確実に、何かが変わっているのだと感じた。

 

多くの女性の方たちが勇気を出して初めてのストリップ劇場、初めての緊縛ショーを観にきて下さった。3時間半もの長い時間、しっかりと私の頑固な流儀を受け止めてくださった。

人生において、険しい道を選んできた緊縛師としての自分にとって

本当に大きな力を頂いた。

 

当日も沢山の方が駆けつけてくださり、沢山の心のこもった感想をくださった。

 

SM業界に落胆しきっていた私に、もう一度前を向けと

皆さんが背中を押して下さるように感じ涙が止まらなった。

 

 

そして。

 

打ち上げの時、何人もの方からずっと私の文章や活動に励みを得ていると

言ってもらった。

そうして彼女たちの苦しみや置かれた現状についても知ることになる。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影後の思い

先ほどの投稿と重複する部分がありますが

撮影後のメモそのままに載せてみます。

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当初の予定では秋田さんとは撮影日が別

ということもあり


初めてお会いするのに

既に聴きなれた声を聞きながら

秋田さんの体を拘束する瞬間が


来るなんて想像もしていませんでした。

 

自分の言葉で、秋田さんの言葉に救われた


と感謝を伝えましたが

混乱していて上手く言葉にできず...

 


撮影の後に

イメージの打ち合わせで絵を描いた

スケッチブックを切り取って

お手紙を書きました。

 


SMは互いの不完全さを赦し

肉体の苦痛をフィルターとして

純粋な心を抽出し、解放を目指す世界です。


それが商業主義に汚染され、

心の救いを求めて逃げ込んで来た人を食い物にし、

食われた人がまた寂しさによって

別の人を蝕み食い物にするような世界になっていく中で

SMの本質、

本当の存在理由を見失ってしまわぬよう、

正気を保っていようとする時の

絶望、虚無、孤独の中で

幾度となく

amazarashiの楽曲に


秋田さんの言葉に魂を救われて来た こと

その私の魂の救いになった

秋田さんの世界観の1部に自分が携わり

協力出来るという奇跡に

心からの感謝をお伝えできたことは

私の人生の苦しみへの勲章だと思います。


こんな感謝をお伝えしました。

 

縛りに関しては、


世界観は理解しているつもりでしたので

モデルさんにどういう表現が求められているかをイメージし、
全力でパフォーマンスしてもらえるよう
麻縄で縛りを施しました。

そして

長時間の拘束状態で起こる反応を想定して

現場の皆さんへのサポートの指示、

固定、体調変化への判断とケアなど

全体の安全監修もさせて頂きました。

秋田さんへの拘束もさせて頂き、

撮影中遠くで自分の施した拘束の中で

歌われる秋田さんの後ろ姿を見ながら、

涙を堪えきれませんでした。

全てが報われる瞬間と言うのは、

こういう感覚なのかと体を震わせました。

 

人はアートの為のオブジェではありません。

描きたい絵を完成させる為に

人間をマネキンのように扱うことは

私には出来ません。

言葉通り、人の痛みや怪我を気にせずに

何かをやらせる事も

人を自分の利益の為に食いものにするのも

人を人として扱わない事です。

人をモノに出来るのは「人でなし」でしょう。

いくら日常を逸脱した世界だからと言って

人間の尊厳まで逸脱して良いなんて事は

絶対にありません。


ファンタジーを表現する時にも

守られるべき人の心があります。


人の痛みを感じ、理解した上で

安全に配慮しながら絵を完成させる必要があると

考えています。


変態の世界だからめちゃくちゃやることが

エロい、なんて言う人は

変態ではなく異常者です。

 

私は静止画の為の縛りが専門ではなく

生きた、心を表現する縛り

動く生き生きとした魂を描く縛りが専門です。


緊縛師として
自分が信じて譲らなかった道
自分の本分である動的縛りで
自分にとって意味ある作品に参加出来て本当に幸せです。


ありがとうございます。

リビングデッドの撮影

自分の中で大きな一区切りがついて、
やっと頭をリセットできたので


書こうとしてためらっていたことを書きます。


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去年の8月か9月のことです。

一通のメールが届きました。

ある制作会社からのお仕事の依頼のメールでした。MV制作にあたって、私に縛るシーンの安全面や縛り方を考慮して相談をしたいとのことでした。

以前にもMVのお仕事の話をもらったことがありましたが
途中で話が変わったり、企画自体がなくなることがあったので
あまり乗り気ではありませんでした。

多分ファッション緊縛の人と予定が合わなくて他を探して私なんだろうし
お断りしようと思いつつ返信をしました。

ちょうどその時、撮影とデラカブのショーが続いている時期で
打合せの時間を作れなかったので
デラカブまで来てもらえるならとお伝えしました。

すると、デラカブ終演時間の23時頃に制作担当者の方と監督が
歌舞伎町まで来てくださいました。
誠意を感じる対応に警戒心がとけるのを感じました。

早速打ち合わせに入ると、
頂いた書類にイメージやコンセプトなどがしっかり書かれていました。

緊縛を持ってこようという企画の場合、色物扱いをされることが多いので
警戒しながら慎重にお話を伺っていると

「amazarashiというアーティストのMV」だと言われました。

そこで、
誰かのかわりだとしてもこれはやりたいと思いました。

ずっと聴いていた音楽だから、世界観なら掴めるはず。
「この撮影を安全に進めたい」
との一言で引き受けることを決めました。

私にできる事があるなら、
本当に意味のある仕事をしたい。

 

それから
撮影用のイメージスケッチ、
全体のイメージをCGで作った試作ビデオなど資料が届き
実際のスタジオを見て縛りと吊りの安全なプランを打合せました。

場の作りこみにどうしても必要ということで1日入り

スタンドインでイメージが欲しいとのことで1日

私の仕事の空いた時間に現地に行き大勢の方が作業する中、吊り上がりのイメージなどを練っていきました。

結果、撮影日以外に3、4日スタジオにいたでしょうか。

AVでは基本撮影は1日、長くて2日。
事前の作りこみも当日の朝早く行うので、面白い感覚でした。


丁度去年最後の大会に向けた減量末期で、フラフラしながら早朝から1日みなさんと作業したのは
特別な思い出になりました。


そして、撮影当日。

完成図はバリケードテープしか見えませんが吊り上げたベースは麻縄で縛ってシステムは全て麻縄で完成させています。

モデルさんを垂直に吊り上げ、
固定し、縄は極端に減らした上で
縄を1mmも見せない吊りです。

麻縄の意味はあるのか?


と思われる方がいるかもしれませんが

安全な固定の為には、


柔軟で天然繊維の中で最強の強度を持つ


麻縄でシステムを作る必要がありました。

緩まず揺れず締めすぎず。

これは麻縄だから出来ることであり、


緊縛師の腕の見せ所でもありました。

途中モデルさんが不安で


何度も過呼吸を起こしたり


起こしかけたりしましたが

多くの拷問の現場を知る人間を


一人置いておいてもらうことで

不安を減らし、


パニックを起こさせないケアができます。

私の考える緊縛師は、


過酷な状況における心と体の専門家です。

そういう意味で、


本物の専門家を呼んでもらえたことは金額以上の価値があったと自負しています。


モデルさんの体、秋田さんを縛る時
アダルトか一般の表現かの垣根など消えたように感じました。


次のブログでは
その日の想いを、家に帰ってからメモした日記のようなものを投稿してみます。