そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

商品ではなく作品を。

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Mは人の愛情を信じられない人が多くてしょっちゅう不安になります。不安を打ち消したくてピアスや刺青を欲しがる人も多いです。

痛みで自分を安定させたくてプレイだけに縋る人も増えました。

 

自分に自信が持てず嫉妬する事も多いです。

そして時々びっくりするような失礼な事を言ったり、やったりして怒らせて来ます。

怒らせて嫌われたり殴られても良いから自分に関心を向けて欲しい、そんな悲しい駆け引きを繰り返します。

パートナーとして大切なのは、そんなMの感情に振り回されない安定した愛情だと思います。

広い視野を持って愛情を投げかける、親のような存在を必要としていますから。

プレイや時間を共有し続けて寂しさを紛らわすその場しのぎをせず、一時的な感情に囚われず、距離を取ったり寄り添ったりする事は大切だと思います。

 


私が今まで激しいプレイのビデオを残して来たのは、彼らの振り回し行動に腹を立てSMの関係をとことん見つめ直したい時でした。

売れるプレイを撮るよりも、意味のあるSMを記録したいと考えて来ました。

女王様ビデオにしたら有り得ない制作費を掛けて作品を作ったのはその嘘のない時間を永遠に保存する為でした。

 


撮影から長い時間が経っても世界中のマニアから愛してもらえる作品になったと自負しています。

これからも消費されて消えていく商品ではない作品を残したいと思います。

 


そして今

ビデオを撮れば最高のものが撮れると思います。

色んな事を学び昔より大人になり見えるものが違うので。

永遠に残る愛の形を描いてみたいです。

 

人を活かす縄

SMには生/性と死が深く関わる。

 

SMと共に生きるという事は

 

多くの生と死の境界に触れながら生きてきた時間でもある。

 

自分の過去を書くためだけに

関わってきた大切な人たちの苦しみを利用するようなことはしたくなかったし

書くことは、辛い記憶にアクセスする事でもあるから

どうしても書きたくなくて、書けなくてもう長い年月が過ぎた。

 

私のSM、人生について話すときに必ず必要になってくるこの苦しみの多い部分も含めて勇気をもって書いてみようと思う。

 

昔、今のようにSMがオープンではなかった。

SMというと眉をひそめる人も多く、AV出演自体が転落した女性の行き着くどん詰まりのように思う人も多い時代にSM作品に出るということは女優としての最後を意味するような時代だった。

SMクラブに来るお客さんもSMの遊びをしていることは決して明かせない秘密だったし、プライベートでSMをやっている女の子は心を病んでいる状態の子が多かった。

薬で物事の判断がぼんやりしていたり、セックス依存の果てにSM的調教やプレイがあったりする場合も多く先の見えない闇の中のような関係も多かった。

 

20年ぐらい前の私は自分自身が人生を描けず卑屈でMの依存によって自分を支えていたような頃があった。

Mやパートナーに愛情を試され振り回される繰り返し。

プレイは過激になり、依存は束縛になり、息苦しさしかないものになっていく。

それでもSMが必要で、狭い視野の中であがいていた。

 

多くの人が性の悦びに飢え、いつでも日常を捨てたがっていたし、いつでも死にたがっていた。

死の恐怖から逃れるように厳しい責めを望み、死の恐怖に魅了されるように苦痛に陶酔した。

 

私も24時間SMの中に居た。

仕事もSM、プライベートもMの恋人と生きる。

いつも心が欠けて亡者のように私の全てを求める人たちと過ごした。

私の苦しみを知ってくれる人も共感してくれる人もいない中で正気を保つ方法も知らず、SMに没頭していた。

正気を保つ方法があったとしたら大酒を飲んでその場しのぎのSMではない快楽を食い散らかすぐらいだった。

心を病んだ女の子たちの死にたがりを手放させ、不安でいっぱいの男子を所有した。

 

私の心が離れる不安から目の前で命を終わらせようと自分の腹を切ったり、体にナイフを立てたりするパートナーたちに苦しんだ。愛した人の望むまま自分の手で命を終わらせようとした事もあった。

自分が死ぬより辛い記憶は多い。

 

私の思いは誰にもわからないのだと思って生きていた。

ぼんやりと思い描く純愛のようなSMにどうやったらたどり着けるのか考え沢山の本を読んでも、その当時の私にはわからなかった。

 

そんな頃、ある人と出会う。

孤独に生きてきて人を受け入れ続けてきた、自分のような人に感じた。

私がMのことで苦しんでいる時、はじめて「わかるよ」と言ってくれた人だった。

彼もこれまで何人ものM女性の人生を引き受けて来たと。

「俺たちはそういう役割だから仕方ないんだよ。でも俺はわかるよ貴女の痛み」

そんな風に肩を叩いてくれた。

 

誰にも自分の気持ちを明かさず自分の世界を閉ざしたまま自分流の道を進む人だった。

私はその悲哀ごと引き受けたいと、その人の全てを次の時代に残すことを決めた。

(受け継ぐ過程の大変さをアピールする気はないのでここでは書かない)

 

数年が過ぎた時、突然変化が訪れた。

飄々として激務をこなすその人を病が襲った。

どんどん、私の知らない人になっていく。

ある時ぽつりと言った。

「俺は見殺しにした」と

Mは愛情を試すために死のうとすることがある。

それを繰り返し繰り返し受け止めながら生きることは本当に苦しいのは痛いほど知っている。助けられなかったことがあるのだと男泣きに泣いた。

私は大きく震える背中を抱きしめて一緒に泣いた。

誰も責められない。責めちゃだめだ。

私にも何度もあの苦しいシーンが蘇る。

SMが救いであり、SMが無くなれば0になる不安。

その時の私にはどうすれば良いのかも全くわからなかった。

一緒に闇の中を生きることしか出来ない世界なのだと思っていた。

 

それから・・・2

毎日のように明け方救急車に同乗し薬を管理し生活を支える。

自分の仕事も私の仕事も全部ぶち壊して回る。

素晴らしい実績も自分で台無しにしていくその姿に絶望するばかりだった。

一緒に居て絵本を読んであげると安らかに眠る、その姿は本当に子どものようだった。

だけど

その人が生きるためにも私が生きるためにもその人の人生から離れた。

 

そして私は決めた。

その人の苦しみ、痛み、全てを食らって

自分の血肉にして生きていこうと。

その人が人生を賭けて考えた縛りを終わらせないと。

 

守破離を超えて

気づけば私の持っている感覚、人の痛みを感じ取り理解する特別な感覚が

縄に宿るようになった。

 

愛する人たちの死へと向かう衝動、渇望とどう闘うか。

どう向き合うか。

そして何が出来るか。

 

一子相伝の吊りも

自分の命と相手の命を一緒に奪うような吊りを封印した。

その要素を封印して、相手を活かす吊りに変えた。

それが「月下美人」。

 

沢山の苦しみ、命の叫びと共に出来た縛りだから

この縄、この人生は

誰かを活かす為に使いたい。

 

私は縛りを人を罰する、戒め(縛め)るものではなく

人を活かすものにしたい。

不安や欠乏感に縛りつけるものではなく、心を覆う鎧を縛ってそこから解き放つ役割として未来へ後押しするものにしたい。

今までのSM/緊縛がどのようなものであったとしても

人を活かすSMをしたい。

その道を拓きたい。

明智伝鬼さんが生前「今の人たちは自分たちが荒れ野を切り拓いて作った道を歩いている」と言われていた言葉を思い出す。

私は自分の思うSM/縛りがこれからの時代に必要な在り方として道を拓いていけると信じている。

 

私の願う、希望に繋がるSMという形にはまだ届かないのかもしれない。

私の暁はまだ先なのかもしれない。

それでもずっと追い続け描いて行きたい。

 

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感情をコントロールして書くにはまだ時間が必要なようで上手く書けずごめんなさい。

 

異性の弟子

私は女性ですから男の子に縛りを教えると

「異性」になります。

 

だからどうしたと言う話ですが、昔から異性と仕事をする時にはしばしば付きまとう邪推があります。

 

別に男に困っているわけでもありませんし「下らねえ」で済ませてしまうものですが、女性用風俗に関わる世界ではそうもいかないようで、これも1度言葉にしてみようと思います。

 

ジェンダーフリー、性差別について語られる機会が増えた時代ですが私にとっては女が緊縛師で男に親切に仕事を教えていると変な想像をされること自体が性差別に感じてしまいます。

 

そんな狭い了見の中で縛りをやっていません。

縛り/SMは私の人生を賭けた仕事です。

下らない見方で汚さないでもらいたい。

これが私の率直な感想です。

ですが、今回ちゃんと書くと決めたので面倒くさがらずに書きます。

 

 

今それぞれ別の女性用風俗のお店に所属する2人の青年に縛りを教えています。

女性用風俗でSMや縛りを教える役目を引き受けようと思ったのは、女性用風俗が発展して行く中でSMのニーズも増えている状況を知って(それも安易に縄や鞭など道具主体のものが増えているとか)女性の人生を考えた愛あるSMを伝えることが女性を守る事になると考え引き受けました。

 

1人はSM TOKYOの蓮人くん。

もう1人はAirly Loveの翔くんです。


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蓮人くんは副業として携わっていて、翔くんは専業です。

 

2人の女性への優しさと縛りへの情熱は素晴らしいものがあります。

1つ前のブログで書いたのですが、私の教えるスタンスとして本気で食いついてくる人は縛りだけではなく現場に連れて行って緊縛師としての仕事を全部教えます。

その中で、専業の人には独り立ちする日に備えて顔繋ぎもします。(もちろんこれで恥をかくことや裏切られた事もあるので慎重に見極めます)

男女問わず現場で待ち合わせて終わったら即解散、も私のスタイルである事をお伝えしておきます。

 

 

まずは蓮人くんについて。

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(これは私が撮った写真です。少しぼかしています)

 

私がプロデューサーとして雇われたお店で、講習をする時に唯一ちゃんと参加してくれるのが蓮人くんで根っからSMが好きと言う印象です。

 

とても慎み深く勉強熱心。

少し遠慮が過ぎるのが良い所でもあり損な所でもあり。

縛りを教えるにあたって、今まで知っている縛りを1回全部忘れてくれと言う私の言葉に潔く応えてくれました。

女性への気遣いがありすぎて(これは2人とも)安全な中での縛りの強弱が課題になってくるのかもしれません。

 

緊縛師の仕事はとてもハードで現場にアシスタントとして1日つくのは心身ともにキツいと思いますが蓮人くんは集中力を切らさず精一杯頑張ってくれました。

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私のアシスタント用エプロン
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優しいピエールさんと。
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現場で使う縄たち

 

惜しむらくは専業ではないことです。

 

 

次に翔くん

 

翔くんは私のお世話になっている方から縄の指導を頼まれたAirlyLoveの方から託された好青年。

先日知ったのですが、AVもSMビデオも観たことのないまま縛りに挑戦しているのだそうで今どき珍しいDT感漂うピュアな男の子です。(蓮人くんはそういう意味ではすっかりエロい人)

※DT感と言うのは私の中での最上級の褒め言葉です

 

1から習いたいとの事で予備知識0で講習会に参加してくれました。いつも凄い集中で自主練もするのですから上達が早いです。

DT感漂うのに女体の扱いに何故か長けている模様。

↑褒めてます

 

常に真っ直ぐ全力投球な所に元気をもらっています。

講習会に参加していたフランス人の仲間が帰国する際にみんなのビデオメッセージを送りたいと呼びかけたら、誰よりも早くビデオメッセージを得意ではないと言いながら英語で撮って送ってくれた熱い漢です。

 

いつもエアリーのオーナーさんと私に筋を通し相談してくれた上で日記に書いてくれる律儀な姿勢に関心します。依怙贔屓ではなく率直な感想です。

 

今回コロナ自粛明けに明るい話題を提供したいから、1~2ヶ月後にショーデビューして欲しいと言うと、目を丸くしたあとすぐに「やります!」と言ってくれました。

 

そう言う訳で、店を超えて緊縛師の弟子として本気で指導することにして現場に連れて行きました。

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おなじみのエプロン


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緊縛師らしく縄を持てと無茶ぶりに頑張って応える姿

 

 

女性用風俗の世界は異性と仲良くすると仕事が減って大変じゃないか、ツイートしない方がいいんじゃないかと聞いた時とても印象的だったのは

「僕のお客さんはそんなことで居なくなるような人はいませんから大丈夫です( •̀ω•́ )✧」と爽やかに言ってのけた事でした。

女性用風俗を始めて半年で、こんな風にお客さんとの信頼関係を築けていると言うのは彼の純粋さとお客さんを信じて受け入れる姿勢にあるのかなと、風俗業界に長く居すぎて忘れかけていた大事なことに改めて気付かされる思いでした。


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だいぶ写真撮らせてくれるようになりました。

 

類友って言いますけど、良いマインドには良いエネルギーが集まるのでしょう。

 

とにかく

 

蓮人くんと翔くん、女性への優しさに溢れた未来ある男子たちがパートナーを気遣う縛りを自分のものにしてくれることで現実に傷つき自己嫌悪に陥ってボロボロになりたいとSMを求めてくれた女性の傷に薬を塗って抱きしめるようなSMをしてくれると信じています。

 

これからのSMは、絶対に、優しさに根ざしたSMでなければならないと私は強く信じています。

 

だから未来を託したいです。

 

その一心で、息子のような彼らを責任もって育てて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

弟子を持つこと。

私の考えを言葉にして欲しいとのご意見を頂きましたので、1度私の考えを書いてみようと思います。

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私の仕事は緊縛師です。

緊縛師になる前はいわゆる「女王様」で、それは今でも変わりません。

21歳でSMクラブに入り今年で50歳になりますが、ずっとSMを生業にしアダルト業界で生きて来ました。

 

アダルト業界で生きると言うのはとても厳しいもので、人一倍警戒心も強く自分の大事にしているものを守る為にも人との距離をソーシャルディスタンス並にとりながらここまで来ました。

 

私は残り少ない現役で活動出来る時間の中で、どうしてもやらねばと使命感のように思っている事があります。

それは後進の育成です。

人の痛み、自分の痛みがわからない人が多くなっていく中でSMは痛みを与える世界。愛のない人に刃物を渡すようなSMは、生きる意味も目的を持たなかった若い頃の私を救ってくれたSMという世界の輝きを曇らせることです。

私が経験し体得して来た私なりのSMを次の世代にバトンとして渡すことが、私の成すべき仕事だと考えています。

 

人の痛みを感じるSM。

日常を支える心の杖になるSM。

 

そのために今まで何人も女王様、緊縛師へと指導して来ました。

これは自分の心を砕いて分け与えるような、骨の折れる活動です。それでも大切にしていきたいと思っています。

 

そんな思いを大切にしてもらえず、弟子をやめてもらったことも沢山あります。

その都度、もう教えるのは止めようと思うのですが使命感は胸の中で燻り続け次の情熱に出会うとまた炎が上がります。

 

今、有難いことに再び情熱に触れて

縛りを真剣に覚えようとしてくれる若い世代の人達と仕事をしています。

 

私が「次にこれをしなさい」と教えるのは簡単ですが本当の意味での自分の技術にするには自発的な熱意が必要です。

 

私が弟子入りしていた当時の師匠も、緊縛講習は一切してくれませんでした。手弁当でついて行ける仕事に同行し仕事を手伝いながら師匠の縛りや動きを見ることが勉強でした。(よく言う盗んで覚えろというものです)初めは師匠の動きを全てコピー出来るほど、とにかく見ました。

すると「あ、今の縄使いはこういう理由かな?」と気づく時が来ます。そこで師匠に「あれはこういう理由ですか?」と聞くと「よくわかったな。じゃあこれを教えてやろう」と1つテクニックを教えてくれます。ひたすら道具の片付けをして師匠を信じてついていく中で、少しずつ縄が自分の体の1部になっていくのです。

そんな下積みが何年か続き、手伝いながら覚えた仕事は緊縛だけではなくビデオの仕事を1人で全てこなせる程になりました。

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※当時の写真

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(兄弟子とスタンドインもよくやりました)
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技術が身についていく過程で師匠は私のためになる人脈は繋いでくれました。(弟子入りすると言うことは、独り立ちの準備もさせてもらえることだと思います)この技術で、私は生きて行けている言っても良いです。

 

私も新しい人に教えるのは少な少なで、細かく厳しいです。一生食っていける技術は財産だから、簡単に渡して「後はよろしく」とは行きません。

一緒に温めながら手渡し、自分のものにして行かなくては育たない卵のようなもの。

 

私もいちいち師匠に質問し食い下がり大喧嘩しながらも諦めなかったから今があります。その過程の大切さを人一倍感じています。

 

先日、あるお店のオーナーの方とお話しした時

その仕事に向いていないと思った人でも、細かく何でも聞いてくれてアドバイスを求める人は向いているように思った人よりも大きく伸びるというお話しを聞きました。

深く頷きました。

私の仕事も、自信がなくて向いていないと思っている子の方が何でも聞いてくれてアドバイスを求めるのでコツコツ繰り返すうちに実力がつき仕事が上手く進むようになります。

純粋な心で、SMへの情熱を持ち続けてくれる人ほど必ず技術を自分のものに出来ますし長年応援してくれるファンが出来ます。

 

私は起伏の多い情熱のうねりよりも、継続する静かな情熱を大切にしたいと思います。

その情熱に全力で応えて、私の苦しみ哀しみ悦び全てがこもった縄を未来に持って行って欲しいのです。その為に、私も先頭に立って表現し続けます。

 

 

 

心の果て

‪ともすれば月すむ空にあくがるる‬
‪心のはてを知るよしもがな‬

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空の果てを知る人がいないように

自分の本当の考えをわかる人はいないと思って生きてきた。人は様々な感情と同居しながら生きる複雑な生き物。だからほんの一部分でも、ほんの一時でも暖かく共有出来る人が居ればそれだけで幸せなのだと思う。

求めすぎる人はいつも足りなくて不幸なのだ。

共有出来る部分がSMであったりセックスであったり、その他の趣味であったり、何でもいい。

寄り添える事は奇跡なのだと思う。

 

有り得ない事だと思うから感謝と言うプラスの感情を持てる。

今の時期SNS上では不満の言葉で溢れている。

国が金をくれない、生活が困窮しているのは誰かや何かのせい。自分が苦しい寂しいのも自分以外の何かのせい。

そんな他力本願というか依頼心の強い言葉を発することも考えを持つことも、誰も幸せにならない。

言霊なんてもので片付けたくは無いけれど、ネガティブな言動をする人からは離れた方がいい。

 

ただ、プラスの言葉と行動を続ける人や投げかけられる事象に応えるだけでいいと思う。

 

立ち止まっている時間も人を妬んだり批判している思考もプラスには繋がらない。

批判や陰口で寄り集まっても心が荒むだけで一時的なストレス解消に思えても心には毒だ。

 

最初から無いものだと思えば幼稚な期待もせず依頼心もなく、思いがけず触れる暖かい気持ちや前向きな情熱に感動や感謝が生まれる。

 

私はそんな風に生きるのが心地よい。

誰かに依存すれば自分も周りも不幸になる。

自分を好きで居られて、他の人も愛せる生き方を探す時間を持つ方が好きだ。

 

立ち止まって空を見上げると

空はどこまでも遠く広がっている。

青い空に心が解けて吸い込まれていく。

 

長く仕事でSMをしていると時々大事なことを忘れてしまいそうになる。特に誰かに仕事としてのSMを教えていると。

仕事は経験則から、ベストの方法があると思う。

だけどライフスタイルとしてのSMにベストな形も正解もない。

 

仕事ではなく「私はどう生きたいのか」

目を閉じて深呼吸して改めて考えてみる。

私は私らしいSMを広めたいわけでも探しているわけでもない。SMと言う性癖を抱えて嘆息しながら生きている同好の士がSMによって傷つくことが無いようにサポートはしたい。

だけど私を押し付けるようなことは望んでいない。

 

ただ、自分らしい生き方を探し続けたい。

 

尊重し合えて並走出来る人が居るなら幸せだし

そうじゃなくても私は空を見上げて空に憧れ続ける。子供の頃からずっと。

 

永遠に手の届かないものに憧れて追い掛け続けるのが恋ならば、私は永遠に空に恋をする。

自由に自分の心の真実に向かって進んでいきたい。

 

熱く強く、繊細で自由に自分の心に従い生きた西行のように。

永遠の純愛(過去のコラムから)2005年頃

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よく、SM雑誌の取材等で聞かれる項目の中に

「SMとは?」という質問がある。

私は「純愛。」と答える。

 

昔、奴隷が言った。

「SMは考えることが出来る頭と言葉を持つ、人間だけが楽しめる高尚な遊び」だと。

性交は虫でも動物でも出来る。

でも、SMは繊細な感情と感覚を持つ人間だけに許された行為。

だから

単なるヌキのSMは好きじゃない。

犯して射精させる行為の中に、頭で感じる「何か」が無ければ普通の性風俗と何も変わらない。

私がSMを始めた頃は、SMは「風俗」ではなかった。(法律で)

人の心の奥底にある、純粋でドロドロした生身の「自分」と結びついた頭の中で楽しむ行為だと思う。

SMの小説は世の中にたくさん存在すると思うが、大抵のそうした小説は風俗に思える。
SMなんてカテゴリーも存在しない、大昔の文学の中にこそSMは存在すると思う。


直接的な性交の描写が無くても、SMは成立すると思う。
むしろ、その方が本格的なSMだと思う。


だから私は奴隷とはほとんどプレイをしない。
全くと言ってもいいかもしれない。
私の好きなSMは、奴隷の心を本当に支配すること。
支配というと、受取り方によって違う印象を持たれるかもしれないけれど
私の言う支配は、母親になるような感覚。
奴隷の社会的地位も年齢も全く頭の中には無く、私の目の前に居る時は小さな子供に見える。


可愛い、憎らしい、誇らしい。
色んな気持ちが湧く。
奴隷になるということは
「自分を捨て、主人の所有物になること。」
私はSMを止めていた時にクリスチャンとして献身した。
その時、私は神の奴隷として生きていた。
奴隷になるということはクリスチャンの献身に似ていると思っている。


私は、私を求めてくれるMの中で
本当に純粋に心の叫びを私に対して発してくれているMだけを奴隷にしようとしてきた。
私だけを真っ直ぐ見て、心の救いを求めてくれる。
この気持ちが無ければ、女王様である意味も奴隷を作る意味も無いと思う。


私の前に居る、弱々しい存在。
体は立派な大人だけど、心が小さな子供のように大きな声で泣きじゃくっているように見える。
無様で惨めで利己的で、形振り構わず私を求めてくれる。


だから、私は生きていられる。


愛され、愛を注ぐことが
私の存在理由。


人間は愛が無ければ生きていけない。
言葉は臭いけど、真実だと思う。


私は愛をもらい、愛で生き返った。
今は、愛を与え、愛をもらうようになった。


SMはプラトニックであるべきだと思う。
直接的な体の繋がりを持ってしまえば
精神的な繋がりに対して、切ない程ひたむきに追い求めることができなくなるから。


年齢も性欲もエゴも全てを取り払って
純粋な、心の根っこに触れ合うのがSM。


世の中で、他にそんなことができるものは
そう無いと思う。


人間の一番汚い部分を見せ合って
認め合って、愛し合う。


こんな強い絆は、そう築けない。
だけど、人の心は脆くて
強い絆も簡単に千切れてしまう。
体の繋がりが無い分
心を信じられなくなる。


疑念を持ったら最後。


純愛が曇ったら最後。


本当に汚れた世界になる。


昔は熱く、完全に結びつくことが出来る!と信じていた。
でも、人の心の脆さを感じて見えてきたのは・・・・


SとMの絆は強い結びつきだけど、ほんの小さなひっかかりでぶら下がっているようなものだと。


疑念で揺れ始めればすぐに切れる。
まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のよう。
揺らさないよう、気に掛けてあげることしか出来ないのが歯がゆい。


いくら「一生側に居る」と約束しても
奴隷の心のレンズが、他人によって曇らされたり
自分の中のエゴで曇ったりしてしまうと全てが信じられなくなっていく。
肉体の繋がりが無い分、怖くなるようだ。


SとMは、哀しい。
愛しているのに、愛で繋がっているのに
蜘蛛の糸を切ってしまう・・・。
人の心の哀しさ。


儚いから美しいのがSMでもあるのだけれど・・・・。


愛した奴隷との関係に苦しんで苦しんで
それでも一緒に生きていこうと思った。


そうする為に、鞭を打った。


心が曇らなくする為に、

邪念を払う為に、

愛する為に。


鞭は純金を精錬する火のようだ。


何千度という灼熱の炎で熱して初めて


不純物が取り除かれ、


純粋な「金」が取り出せる。
鞭=痛みも同じじゃないかと思う。


痛みを与えて与えて与えて・・・。


心を熱する程の痛み。


日頃の仮面を外さざるを得なくなるほどの痛みでなければたどり着けない「心」


痛みの果てに、手にするものは美しい「純粋な心。」


痛みで心を精錬して、愛を取り出す。


私と、私の愛する奴隷達にとって


鞭はそんな大きな意味を持つ。


常に美しい心で、愛し合いたい。


だから


ずっと


「永遠の純愛」


で居て欲しいと思う。
そのバランスをとり続けるのが、SMかもしれない。


SMは欲望を理性でコントロールする遊びでもある。


これについてはまた別の回で・・・。

緊縛師の仕事について。

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昨日ふと考えた。

この仕事を覚えて受け継いでくれる人は

この先出来るのかと。

 

緊縛師と言う仕事は元々アダルトメディアでSM的な表現をする裏方の仕事で華やかな場所に出ることの無い技術職。

その仕事を引き継ぐには、仕事内容を全て知ってもらわなくてはならない。

この地味で責任の重い仕事を引き継ぐ人が現れるのか、そこまで修行を続けてくれる人が居るのか改めて不安になった。

 

そこで、緊縛師として私がやっている仕事を

1日の流れで書いてみようと思う。

 

①朝9時スタジオ入り

 

台本をもらい、準備するスペースを確保&内容を確認

 

監督とその作品でやりたい方向性と女優さんの個性適性を踏まえて縛りのプランを打ち合わせる。

 

体の弱い子、次の撮影の日程的に痕がつけられない、以前の撮影で恐怖心があるなど注意深く確認。

 

②パッケージ撮影

 

プロデューサーのリクエストをヒアリングしながら

スチールカメラマンと縛りのプランを決める。

吊りがあれば女の子のメイクと照明のセッティング中に吊り床を作成。

 

動画の縛りとは違う静止画用の縛りの仕上げ。

 

撮影中は女の子の近くで待機して

モニターを確認しながらポーズの変化による見え方や女の子の体調の変化をチェック。

 

解き。

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③香盤表を確認して次のシーンのプレイ内容に沿った縛りのプランを監督と打ち合わせ

 

場のセッティングと女の子のメイクが上がると同時に縛り始め。

監督と演者のプレイについての申し合わせをしながら縛る事も多い。手早く確実に縛る。

 

プレイ中、モニターの近くでモニターの中の縛りと

肉眼で縛りの見え方、女の子の小さなコンディションの変化も注意深くチェックする。

シーンが長い時はカットがかかると女の子の体力が持つようにケア。

 

カットと同時に救出(解き)

 

体調に関するアドバイス

 

 

大体1日に5シーンぐらいあるので③をひたすら繰り返す。

 

吊り床の設置、プレイの場所、ポジション、展開などの安全監修はとても大切な仕事。

 

様々な危険や予想されるダメージを経験を元にシュミレーションしながら監督に提案。

監督の作りたい画と女の子の肉体的な限界を擦り合わせて形にしていく。

 

プレイの途中で縄が緩んで縛りがブラブラになれば

ユーザーさんはシラケるし、女の子は危険になり、撮影は押してしまう。

どんなに激しく動いても、男優が掴んでも緩まない縛りを確実にすることが最も大切。

 

安全監修に加えて、縛り待ちで現場が押す事がないよう早い仕上げをしている。

 

例えば1日2、3万で呼べる縛り手が居たとして

縛りの時間、トラブルの対処でスタジオ延長料が発生する金額よりも、3、4万高くても私を呼んでもらう価値は必ずある。

そう言いきれるぐらい自分の仕事に責任を持ってやっている。

 

信頼して下さる監督には全力で応える。

 

 

私が行く現場は夜中までかかる事はないものの

朝早く始まって終わるのは早くても12時間後。

その間、ずっと準備と縛り解き。

 

AV業界は厳しい縦社会、マナーが大切でどうかすればプロダクションとの揉め事にもなることもある。

 

現場の進行の仕組み、撮影用語も覚えて行く

 

覚えるべきこと、仕事が多く精神的にも肉体的にもハード、何か起きれば恐ろしい責任がのしかかって来るプレッシャー、全てを踏まえてこの仕事を覚えてやって行きたい人はいるのだろうか。

 

私はどうして、こんなキツい仕事が好きなのか考えた。

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男だらけの現場で過酷な撮影に挑む女の子は不安でいっぱい。

プレイで傷つけば「初緊縛」で緊縛はNGになる。

彼女たちの人生に傷が残る。

良い作品にして彼女たちの勇気を後押ししたい。

ビデオユーザーさんに現実には出来ないプレイを疑似体験出来るファンタジーを提供したい。

 

子供の頃、映画監督になりたかった自分の中の「映像作品作りが好き」という部分があるからかもしれない。

 

だから手弁当の下積み時代も楽しかった。

朝まで撮影でも、また撮影したいって思えた。

 

早く結果を求める人が多い時代に

こんなしんどい事を乗り越えて、仕事全部を引き継いでくれる人は残るんだろうか。

 

私のしてきた「緊縛師」と言う仕事はどれだけのものを次の時代に残せるのだろうかと

歳のせいかぼんやりと考えた。

Photo: AKIKO