先日書店で欲しい本が見つからず、近いカテゴリーの本棚を何周もしながら探していました。
そこに「ナタンと呼んで」と書かれたイラストが表紙の本に目が留まりました。副題は「少女の身体で生まれた少年」。
あまりこのジャンルの本を読むのは得意ではないのだけど、なんとなく気になってパラパラとページをめくってみました。
その本は活字の本ではなくバンド・デシネというフランスの漫画でした。
普段エロ漫画以外の漫画を読むのが苦手なので、ああ文章で書かれた本じゃないんだ。と本棚に戻そうとしました。
でも、最後に目に留まったページが引っ掛かり
もう少し先まで見てみようともう1度本を開きました。
お話は主人公の女の子が中学1年生ぐらいの頃から始まります。
お母さんを喜ばせようとワンピースを着て5分で脱いでしまったこと
おばあちゃんにハローキティのリュックをプレゼントしてもらったけど、自分はレーシングカーが欲しかったこと。
そんなことから始まり、主人公は少しずつ成長していきます。
小さな出来事のピースが散りばめられ私の中の記憶の扉がノックされたのかもしれません。
(お話のつづきは、本のネタバレになってしまうのでここで書くのはやめておきます。興味を持たれた方はどうか書店で購入してみて下さい。)
私はトラウマが多くて、中学生から高校生ぐらいの細かい記憶がありません。
断片的に強烈なものだけ残っている程度で大部分が消えています。
この本の主人公の行動と心の声を読みながら、その自分で扉を閉めて鍵をかけていた記憶がザワザワと扉の向こうで騒ぎ出すのを感じました。
本を買って、少しずつ少しずつ読みました。
何となく怖くて。
読み進むうち沢山の場面が再生され始めました。
私は子供のころ成長が早くて男子よりも早く背が高くなりました。
見た目も男の子みたいで授業の休み時間は図書室で過ごすか、たまに教室で男子とプロレスをしたり女子とは違う過ごし方をすることがほとんでした。
着る服もズボンばかりで、親が買ってくるフリルやレースのついた服やピンクの服が嫌いで
「あんたは(方言)新しい服を買ってやっても喜ばないから買わない」なんて言われることもしばしば。
可愛いバッグを買ってもらっても嬉しいなんて感じなくて、男子の持っているロボットや車のついたものの方が欲しいけど親に言えずせっかく買ってもらったものを粗末に扱うと叱られたものでした。
私と同い年のいとこがいて、良く一緒に遊んでいたのですが彼が買ってもらったロボットの玩具が欲しくてよく喧嘩しました。
私の実家は旅館で、両親が仕事をしている間そのいとこと旅館の廊下を三輪車で走り回っていました。彼の三輪車は仮面ライダーで私のはピンクの可愛い女の子用だったのでそれが気に入らなくて彼の三輪車を奪って泣かせることもあったようです。
大人になって私より20cm以上大きくハンサムに育った彼に「今でも俺、さーちゃんにひっかかれた傷が顔にあるからね」と言われて不思議と萌えたのも妙な思い出です。
それはさて置き。
私が通ったのは幼稚園から高校までの一貫教育の学校だったのですが、初等科までが共学で中等部からは女子校でした。
小学生の頃に同級生の女の子をトイレに誘ったり近所の子供とお医者さんごっこをしたり、私のSとしての性癖は既に発芽していましたが女子校に入ってからは少し状況が変わって行きました。
小学3年生の頃から始まったクラスメイトの奴隷のような女の子は私のやりたいことの要求が増していくことに怖気づいてしまったので、すっかり興味を失っていき
中学に入ってから彼女は私の気を引くためか、私の目の前で他の子にキスをしたりストリップをしてみせたりするようになりましたがもう気持ちは戻らず、彼女と再びキスをすること無く終わりました。
残酷な話だなと今は思います。
女子だけの空間で私はクラスで2番目に背が高く、ショートカットで体が大きかったせいか男役でした。
中学の間に女の子同士の陰湿な人間関係に触れて凄く病みました。
それで少しずつ男性への興味が芽生えたのかもしれません。
とにかくセックスをしてみたい。
そればかりに囚われて行きました。
(もっとこの辺は昔からのストーリーもありますが書く勇気がまだないのでここでは触れません)
それから
高校生になって出来た親友は私の言うことを何でも聞きました。
二人でいつも一緒にいて、セックスの話をしたり、オナニーの話をしたり、形が綺麗なおっぱいを見せてくれたり、プレイはしませんがいつも一緒に過ごしました。
私が親に反発して家出した時は何度か一緒についてきました。
家出中にセックスをしてみたいと願っていた彼女の初体験を、私が段取りして傍で見守り
終わった後は二人でどうだったこうだったと凄く楽しく話しました。
私のセックスも見せたし、彼女とは男以外とにかく何でも共有しました。
うちの親が厳しく、家出する度父は会社の役員に命令して探させ何度も何度も連れ戻されました。
それが何度か続くうち、厳格な家の厳格な親の口から「あんたたちもしかして・・」
なんて言う言葉も出るぐらい一緒にいた親友でした。
いや、親友というより奴隷だったのかもしれません。
また話が逸れてしまいました。
過去を振り返るって難しいですね。
セックスしてみたいとかエッチなことをしてみたいという願望が「誰かからそういう行為をされたい」という方向性のものではありませんでした。
ここがきっと、私のこれまでの人生で一番苦しんだ部分なのだと思います。
日本では特に女性は男性に従うような立場で、男性に養われる、男性に抱かれる、男性弄ばれる・・・等々ほとんどの関係性は受け身であることが当たり前です。
私は、それがダメでした。
自分がSだとかMじゃないとか、そんなことは全くわからなかったけど
心の底から受け身には絶対になれませんでした。
相手が安心して喜ぶなら、そう思われてもいいと感じたことはありますがどこまで行ってもM的な立場は不快で心から心地よく過ごすことはできませんでした。
初めての恋人、初めてのセックス、初めてのSMのようなプレイ、いつも自分主導でした。でも、恋愛して結婚すれば日本的な女性の在り方を求められ私のやりたいことは認められないもので、何度も破綻しました。
愛情に関しては情熱的過ぎるので好きなったらすぐにとことん愛しきりたい気持ちになって結婚までしますが、私の複雑な内面を理解されることはなく長続きはしませんでした。
そのうち、高校を出てセックスも恋人に目隠しをして手を拘束するようなSM要素が加わり始めます。
その当時、バブル全盛期でディスコのお立ち台に夢中になりました。
ボンデージを着たり、ニーハイブーツにミニスカートでお立ち台に立ち踊ります。
欲望の眼差しを向ける男を足元に見ながら体をくねらせ踊る時間は最高の快感で
視線が絡みすぎれば「見るな変態」と見下すのです。
父はいわゆる地元の名士で、どこに行っても「あそこの娘」と言われました。何かをやれば翌日には父の耳に入っているような環境の地元の街で暮らすのが息苦しくなり、家出同然にある日突然車に乗って着の身着のまま飛び出しそのまま福岡に住みました。
福岡に着いて一番先にやったことはスポーツ新聞を買って、玉屋デパートだったかデパートの公衆電話から三行広告のSMクラブに電話をしたことでした。結局その時は怖くて面接にも行けなかったのですが。
なぜ真っ先にSMクラブに電話をしたのかももう思い出せないけど、とにかくそんな感じで福岡に出て毎晩一人で踊りに行って遊んでるうち年上の女性から
「SMクラブで働かない?」と誘われたのが今の仕事に入ったきっかけです。
話しは長くなるので一気に割愛して結論へ向かうことにします。
仕事でSMを始め、プライベートで恋人との関係もSM化していき「日本一の女王様になりたい!」と恋人と別れ上京しました。
東京はSMのメッカでもあり夢の中心地だと思っていたのに、現実とのギャップの大きさに傷つきしばらくひきこもりになってしまったこともあります。
SM業界にいると、同業者の男性から誘われることも多くありました。
そしてそのアプローチのほとんどが、女王様もプライベートはMなんでしょ的なよくわからないアレ。
実にくだらない。思い出しても本当に吐き気がします。
私は別にMになりたいと思ったことはないし、なれた方がよっぽど生きるのが楽なんじゃないかと苦しんだことが何度もありました。
だけど願望がない。
いやむしろ、生理的に受け付けない。
こんな簡単なことが理解されないなんてどうかしてると思います。
私は仕事では女優さんと一緒の控室より男優部屋にいた方が心地が良いです。
それは男が好き、とかじゃなくて「自分らしくいられる」から。
昔からそうでした。
女の子にはいつも気を遣う。意識するというのか
男性だと気が楽。ただし、女として口説いてくる人間には敵意を抱く。
興味あることも男性の方が合うことが多いし距離感がちょうど良いと感じます。
女王様という仕事に就いて、東京に出てきたらネットでルックスを叩かれたりしました。
自分には譲れないSMがあると自信を持っていても、外見で受け入れられないなら変えてみようと、仕事の為にとメイクや髪形を女性らしくするように努力してみました。
そうすると、今まで自分になかった女らしさを表現することが面白いと感じるようになりました。
最初は女っぽい恰好をして女っぽく振舞うことは自分にとって女装のような感覚でした。
でも、そうするうちに女として過ごすことも悪くないと思うようになり
歳をとるごとにトゲトゲした部分が取れて、今のようなふんわりした人間に変化していきました。とても気楽です。
男だけどメイクをしたい、そんな感覚とベクトルは一緒なんだと思います。
私は女であって心は女ではない違和感
女であってMではない生きづらさ
Sだからと言ってわざと男のように振舞うことに対する抵抗感・・・
色んな人とは違う部分の違和感に気づきながらやり過ごしてきた。
ナタンと呼んでを読んで、そんな誰かの決めたカテゴリーに属せなかった過去の自分に気づきました。
そして誰かの決めた何か、じゃなくて「自分らしい自分」それだけでいい。
そう再認識しました。
私のように性への違和感を早くから感じながら悩んで生きて、やがて結果生まれた性を受け入れ楽しむようになる事もあると思います。
だから子供のうちから性同一性障害と診断して医療的なケアをしすぎるのは、どこかひっかかるものもあります。その判断は本当に難しいものだと感じます。
LGBTは地位を獲得しつつある時代ではありますが、SMはまだ単なる異常性欲者の性風俗として面白おかしく扱われることがほとんどです。
SかMかという体に沁みついた持病を抱えた人たちもいることがもう少し認知される時代になれば良いなと願っています。
拙い文章ですが書いて残すことで、性癖が原因で人生の選択に苦労している女もいることを知ってもらえればと思います。
そして
この歪んだ人生を、自分らしく真っ直ぐ愛を求めた人生だと自分で受け入れられるようになってきたから、やっとこうして書けたんだと思います。
Sだって全力で人を好きになれば甘えるし弱いところも見せる。
人を愛するのに男か女か、SかMかなんて識別信号でしかない。
人が人を愛すること、自分らしく生きることを胸を張って楽しみたい。
そんな気持ちです。
長々最後まで読んでくださってありがとうございます。