そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

制限しない生き方を

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今まで、トラブルや傷を避けようと

自分で自分を制限する事が多くありました。

仕事でもプライベートでも。

 


勇気を出して踏み出す1歩に

新しいヴィジョンが拡がって行くのを感じます。

仕事も競技へのチャレンジも。

 


全ては自分を表すもの。

自然に解放して行きたいと思えるようになりました。こういう開き直りが出来るのも歳を重ねる良い所だなと感じています。

 


インスタに仕事の写真を出して、同性の選手の方から応援メッセージを頂いた事は大きな喜びと勇気になりました。

 


ありがとうございます。

 


今年の大会出場は仙台をラストにする

つもりですが

9/25からロンドンに行く事が決まりました。

 


昔から親しくしている方が間に入って話を進めて下さっているので今回は条件がどうであっても行こうと決めました。

 


人生1度きりなので。

 


関わって下さる現地の皆さんそれぞれ丁重に交渉を進めるメッセージを下さり光栄です。

5日ぐらいの滞在中に色々出来たらと思います。

 

準備を手伝って下さる1人の方からは

「私は日本のプロ女王様達についての情報を見るような機会がないのでどんなに有名な方でも全然存じ上げないのですが、夏樹さんは伝説的な女王様で日本国外にもファンが大勢いると聞いています。おっしゃる通り、ファンの集い、みたいなものがあると喜ぶM男も多いですよね、きっと。告知が早ければ、イギリスだけではなくヨーロッパからも都合をつけて来たり…」と届きました。

 


ヨーロッパから人が集まってくれたら、今まで海外で披露した事の無い私の流派の縄のワークショップや私の仕事のワークショップ、ファンミーティングなど面白い機会になりそうです。

 


そこで仙台行きを少し考えています。

仙台の大会に出てロンドンに行くのか

8月を今年の最後にするのか。

 


とにかく今月はボディビルより本業で頭がいっぱいの月になりそうです。

捨てられないTバック

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もう随分昔のこと。

 

月に1度メールを送ってくれるMが居ました。

 

私のサイトの日記を読んだ感想など、

 

丁寧な言葉を送ってくれる高齢のMでした。

 

私が緊縛師の修行中、お小遣いをつかって

 

縛りの古い文献を蒐集していた頃は

 

国会図書館から大量の資料を集めて

 

送ってくれることもあったものです。

 

そんな年寄りMは

 

昔から文字だけで写真すらないSM雑誌に夢を描き

 

女性上位の世界で自分が最下層になり

 

女性に献身したいと望む一人でした。

 

 

 

 

普段SMをする相手のプライベートを聞くことはあまりないのですがそのMは私の研究に自分の仕事が役立つかもしれないと、自分が学校の元教諭だと明かしてくれました。

 

ある時

 

自分は高齢で実際にプレイすることは叶わない身ながら、私の奴隷だと言うことを感じたいと書いてきました。

 

それには毎月、大手の高級百貨店に行き女性店員に直接尋ね私のサイズに合った上等のTバックを購入して送りたいと言うのです。

 

昔ながらの日本男児で育った老人Mには女性用の下着売り場に足を踏み入れることも恥ずかしく、そこで女性店員にこういう女性のTバックを下さいと言うのは、最高の羞恥プレイなのだそう。

 

そんな申し出が可愛く思えたのでそのMに住所と好みのTバックの素材や色など詳しく教えました。

 

そこから

 

毎月老Mからの手紙つきの小さな郵便物が届くようになりました。

封筒の中に丁寧に包装された下着を更に何重もの薄紙で包んだものと今回はどういう状況でこのTバックを選んだのか、私の為に勇気を出して恥ずかしさを乗り越えたという話などが添えられていました。

 

その老Mは定年退職して年金で暮らしていると言っていました。だから、月に1度私に送ってくれる上品なTバックはその老Mにとっては大きな自己犠牲だったのだと思います。

 

手書きで一生懸命緊張しながら書いたであろう

 

震えるような筆跡に老Mの健気さを感じて、いつも心が温かくなったものです。

 

そうして何年かが過ぎ、

 

私が身に着けるTバックは全てそのMが選んでくれたものになった頃、冬休みを取ってその当時のパートナーと関西を旅行することになった時

(関西のSMバーをあちこち回り、最終的に花真衣さんに会うというSM旅行だった)

はじめて、その老Mと会うことになりました。

 

記憶が薄いものの

 

確か大阪のウエスティンに泊まっていたから、部屋に奴隷を待たせて老Mとはウエスティンのロビーラウンジで待ち合わせました。

 

私が約束の時間に到着すると、グレーのスーツを着た老紳士が静かに立ち上がって私を迎えてくれました。

私には彼がいくぶん震えているのが見て取れました。

老Mの緊張をほぐそうと微笑みかけました。

 

老Mは一瞬嬉しそうに目を合わせてくれた後、すぐにしおらしく目線を下に落としました。歴の長いマゾが持つ、マゾなりのマナーと言ったところでしょうか。

 

「やっと顔が見れたね」

 

そう声を掛けました。

 

じいさんMは、ゆっくり、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれました。

ホテルのロビーラウンジですから、大きめの椅子に腰かけテーブルを挟むと二人の間の距離は随分と離れています。

それでも、Mは満足げに見えました。

 

私の作品のどういう所が好きだとか、私の言葉の何が良かったとか、自分のMとしての人生とか、今まで沢山心に溜めていたであろう話をしてくれました。

 

その当時の私は今よりずっと若かったので早く遊びに行きたかったのもあり、老Mとは1時間ぐらいで別れました。

 

 

それから、数年して毎月届いていた贈り物は届かなくなりました。

もう1度会うことは叶わぬまま、私のクローゼットの中には未だに捨てられないじいさんMの選んだTバックが残っています。

 

ほとんど古くなって買い替えてしまったけど、1枚だけはどうしても捨てる気になれなくて見るたびいつも思い出します。

 

じいさん、今でも私はお前を忘れてないよ。

 

天国でも私に合うTバック探しててよね。

 

 

 

 

時代に合ったSMの在り方、携わり方

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今まで、歳をとって自分を商品にする事が

 

心地よく感じられなくなったり

 

縛りだけでSMの表現を極めてみたいと思ったり

 

この10年、元々の女王様の部分を基本的には

 

封印してきました。

 

出来れば中性的な存在になりたいなと。

 

 

今年の3月に新しい目標というか、

 

手段を思い立ってからは、

 

あれこれ制限せずに緊縛師の部分と女王様の部分を

 

自由に出すようになりました。

 

女王様の自分を喜んでくれる人達が多いのは

 

ちょっと複雑な気持ちですが。

 

ただ、

 

自分自身ボンデージを着てSMの場所に立つと、

 

自分が生き生きしてくるのを感じます。

 

抗えない性としか言いようのない感覚が

 

嬉しいと同時に戸惑いでもあります。

 

最近は国内外の方からアナル、

 

SMについての相談やプレイの希望も多く頂きます。

 

そして驚くのは女性からのアプローチも増えた事です。

 

緊縛師はビデオの現場でしか縛りません。

 

実際にSMをやってみたくて彷徨っている方の希望に

 

応える方法がありません。

 

 

昔から時代の変化に柔軟に対応出来る

 

プロでありたいと思う気持ちと、

 

プレイで傷ついた人達の傷は

 

SMで癒すのが1番だと言う考えを持っています。

 

 

断るのが大変だと言うこともあり

断る意味って何だっけとも思ったり・・・

 

条件に合う人とは

 

プレイヤーに復帰してもいいのかなと

 

考えるようになっています。

 

今度は女性にも対応してみようとか。

 

彼女たちが縄や性的な部分で傷ついた傷を

 

私の手で少しでも塞げるなら..。

 

 

何年かに1度辞めようとして、また望んでもらって

 

復帰する繰り返しは好きじゃないのですが

 

プレイ、好きなんだなって

 

つくづく実感しています。

 

悩みは続く。

SMで食っていくということは、抜くということ。

ここ数年、プレイの経験はないけどSMに興味を持ったという若い方から「SMで生きていきたい」と相談を受ける機会が増えました。

そんな時、いつもちょっと考えてしまいます。

何も考えずまず「SMクラブで働いてみたら」とは言えなくて。

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(写真は2000年頃所属していたSMクラブのプレイルームでの1枚)

 

※私の今まではと言うとSMクラブ嬢を経、いつでも買える「みんなの女王様」を卒業して愛する人だけの女王様になりたくて、少しずつ仕事を変化させました。

ビデオの中でするプレイは、お客さんが自分のしたい相手とプレイする姿を観て楽しんでくれます。だからこれが一番自分らしいと感じビデオの世界に転向して行きました。

ただ、そのパートナーとさよならしてからはすっかり自分のビデオを撮る気をなくしてしまい緊縛師として女性を輝かせる裏方に専念するようになったという感じです。

 

私が気にかかるのはSMクラブで働くことは抜きのサービスを提供する仕事でもある現実をわかっていない場合が多い事です。

 

最近、私の言う精神的なつながりに憧れてSMに興味を持った女の子の中には特に性的な経験が少ない子が多いです。

そんな子がSMへの憧れだけで入るには厳しい世界だと思うので、すぐに勧めることが出来ません。

本当にSMをやりたい女の子にとって、性感的なサービスに心が消耗し傷つく子も多くいます。

今では何千のアナルを犯し性器をしごいて来た私ですが、SMクラブで働き始めた頃の私もそんな女の子の一人でした。

 

人から体をいじられたり体液がつくのが苦手で、Mになることが精神的苦痛でしかなかった。

けれどSMをしたいと思えば、Mから始めるしかなかった。

縛られたくもないのに縛られ、時々お尻を叩かれ、舐められ、大人の玩具で局部をこねくりまわされ、最後は口で抜いてお客さんにありがとうございましたと三つ指ついて言う。

こんなの自分のやりたかったSMじゃない!と悔しくて辛くてしょっちゅうお客さんと喧嘩して、ママに叱られました。

 

Mを経験したお陰でMの立場になって考えることが出来るようになったのは、この辛い経験のお陰と思いはしますが、まだ擦れていない新しい人たちに同じ思いをさせるのはどうにも気が進みません。

 

今は女王様になろうと思えば、色んな形でいきなり女王様から始めることが出来ます。

SMバー、SMサロン、SMサークル、M性感、映像配信などなど・・・

私は腹を括って始めるのなら絶対にSMクラブから始めるべきだと思います。

必ず、1対1でお客さんと向き合って毎回プレイを時間内に完結させなくてはいけないのでプレイを組み立て責任取ることをしっかり叩き込まれます。

それがなくて、良いとこどりで女王様気分を味わうプレイは簡単に出来ますが色んな人を満足させる幅広いテクニックや精神面のケアを身に着けるには絶対にSMクラブからスタートするべきだと思います。

その、抜きの部分に傷つかないのであれば。

 

今は女王様専科があるので、最初から女王様プレイだけを勉強し仕事にすることが出来るのは少しうらやましい気もしますが修行と考えるなら得損なっている部分もあるような気がします。難しい所ですが。

 

今日はちょっと昔の話を書いてみようと思います。

 

一番最初にSMクラブに入った時から女王様の経験があると嘘をついて女王様だけをやろうとしましたが叶わず、Mから始めました。少しプレイが出来るようになってきたとママが判断したらスイッチプレイのあるMIXコースの仕事を受けられるようになります。

MIXコースはお客さんがMでも女の子に触ったり舐めさせたり出来る何でもありのコース。

そして、女王様プレイが出来るかどうかテストがあった後やっと女王様プレイの仕事が受けさせてもらえるというのが基本的なSMクラブでの育ち方です。

 

最初に働いていたクラブでNO1になった後、他のクラブに移籍することにしたのですが前のお店で1番になった実績があるとは言え、基本的なお店の仕組みとしてMもやらないといけないと言うことでした。

それがどうしても嫌で、飛び級を願い出ました。

最初から女王様プレイで仕事がしたいと。

痴女プレイやイメージプレイは得意だったので平気でしたがMだけは避けたかった。

 

すると、社長が「日本全国を行脚して自分の身体でSMを経験してきた。社長を満足させることが出来たら飛び級を認める」とのこと。

もうほとんど何かの漫画の世界です。

しかし現実です。

そのお店はMIXから女王様に昇格する時の試験は先輩女王様が仁王立ちで見守るなか

プレイしなくてはいけない、とても精神的に悪い状況のテストだったので

社長の計らいはとてもラッキーだと思いました。

しかし、俺を倒せるか!という挑戦状は・・・なかなかのプレッシャーでした。

これから働かせてもらうお店のオーナーですから、このプレイ次第ではお店での立場もなくなるわけで、流石に緊張しました。

 

しかし、絶対にMをやりたくないから背に腹はかえられません。

 

いざプレイ開始。

 

頭のスイッチを切り替えて、自分のボスではないただの男だと言い聞かせながら

身体を探っていきます。

子供の頃から性のテクニックを磨くことにしか興味のなかった自分の全てのエロさを動員して・・・少しの反応も逃さず丁寧にプレイしました。(メインはアナルプレイ)

もちろん、触られることも舐めることもなく女王様として私も濡れながらフィニッシュを迎えました。

 

めでたく、飛び級は認められ大きな顔をして女王様プレイでお金を稼ぐことが叶ったのですが飛び級と私の生意気な態度のせいか控室は実に寒い空気でしたが自分の実力で勝ち得たポジションに幸せを感じていました。

 

そして

その後上京するようになるのですが、またそれは別の機会に書いてみます。

 

こんな感じで、自分のプレイで道を切り拓いて来ました。

そこには多くのち〇ぽを悦ばせ抜いてきた事実もくっついています。

男の快楽を支配して、真の女王様になりたいという猛者は

是非、SもMもあるクラブで修行して下さい。

 

異性との肉体的接触が苦手な方には勧めません。

今、そんな精神的SMの道を究めたい方へ何か良い形がないか考えています。

それが形に出来たら幸せです。

 

少し待っていてください。

 

そして、悩んだ時はいつでも頼って下さい。

泥沼の中で性と共に生きてきたから解脱した私がいます。笑

 

 

 

愛の形

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愛してた。

 

2人の間で愛し合う気持ちがわかっていたら

 

他人が納得するような形なんてどうでもいい。

 

恋人、夫婦、友人、家族、SかMか、男か女か

 

愛の形にラベリングなんて必要ないって思う。

 

 

愛していない人に愛してるなんて言えない。

 

だから、愛しい人は

 

愛する人

 

それだけでいいのに。

 

他に何が必要なんだろ。

 

SMでも何でもいい。

 

人を愛せることはそれだけで素晴らしい奇跡なんだから。

 

Mと奴隷の違い(過去のコラム)

過去のコラムを見ると若かった分

今と少し考えが違うと言うか固く考えすぎて寛容さが足りなかったようにも思いますが根っこの考えは今とそう変わらないようです。

 

■Mと奴隷の違い (2006/05/07)
 

「M」と「奴隷」の違いは「プレイ」と「調教」の違いに繋がっているので 一気に両方書こうと思う。

 

「M」・・・プレイ・調教の相手。

「奴隷」・・私の子供、体の一部、人生の一部。私の所有物。

 

私は昔から「奴隷になりたい」というMには最初は「奴隷見習い」として訓練し、言葉・心・行動が伴ったのを認めた時(長い年月が必要)初めて「奴隷」として認める。

 

そしてその時、「奴隷契約」の儀式をする。

 

これは好きな小説の「家畜人ヤプー」の中のヤプーが主人に引き取られる時の 結婚を模した儀式を真似た、私の遊びでもある。

勿論その契約が絶対だとは思っていない。


絶対という言葉は、きっと死ぬ間際に初めて証明される言葉であって 簡単に「絶対離れません」と言われると、却って軽い気持ちに感じてしまう。

契約は、奴隷として叱られ躾けられ努力した心を褒める意味の形式上のもの。

奴隷契約があるから主人は何をしても良いなどと思ったことはない。 奴隷の心に対する御褒美だと思っている。

最近はMと奴隷の違いも深くわからない人に「奴隷見習い」と使われることが増えたので、その言葉を使うのは止めた。

 

肩書きは、人の心を不純にする。

 

誰の奴隷、どんなことをしてる人の奴隷か、ということを頭においているMやどれだけの経済力か、どういう地位か、どんな姿か、どんなプレイができるか 。
そんなことを思っているS。
彼等は本当に相手を見ていない。
必要としていない。

ファンタジーは自己完結しあっているのだ。

主従関係を結ぶ意味が無い。

 

純粋な心だけで繋がることが出来る、それが「奴隷」だと思う。
私の人生の一部となって、ずっとついて来てくれる存在。主従関係に不必要なものを求める人は 奴隷にはなれない。
自分で「そのつもりは無い」といいながら 色んなもので私を縛りつけようとする人は、奴隷にはなれない。

心を愛し、存在を愛するから
「純愛」が成立し、空気になり体の一部になれる。

 

純愛には苦しみがつきもの。胸が苦しむから、愛情の垣間見れる瞬間が甘く感じる。

甘く切ない悦びを無上のものと思える人が、奴隷になれるんだと思う。

だから、Mは世の中に何万と居ても 奴隷になれる人は稀少。

 

私にとっては、最高の美の探究者。
掛替えの無い大切な存在。

簡単に「奴隷」などと言って欲しくない。

言葉は深い意味を持つ。

奴隷になることは、苦しいこと。

それを真剣に頑張っている者と「奴隷」という言葉のファンタジーに酔う者を 一緒にしないで欲しいと思う。

 

パートタイムでMを楽しむことが悪いことではない。 それは恥じることではなく、その人の選ぶ自分の生き方。

MならMと言えばいい。
虚栄心で「奴隷」というのは嫌。

奴隷は、1人の所有者に所有されていることを示す言葉であることを理解して欲しい。

自分で自分に首輪をつけて、どこにも引いてくれる人が無い時は まだ奴隷にはなれていないMだと言えばいい。

奴隷になる必要性を感じない人は、そう言えばいい。

結婚したい人と独身で生きたい人の違いは明確にされることが多い。
Mと奴隷も、その違いと同じで明確にさせることは悪いことではないと思う。

 

人それぞれ価値観が違い、価値観の合う者同士が寄り添うものだから。


素直な心が、Sに伝わる。
純粋であれば、きっと深く愛されるから。

SMの世界に来た時ぐらいは、言葉で装うのは止めて欲しい。

禁止することと許可する動機について過去のコラムから

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■禁止と許可の動機 (2007/04/15)
主従のロールの中でよくあることに、「躾ける」ということがあります。

自分のM、もしくは自分の奴隷を教育していくことが主人と奴隷の信頼関係を築いたり、互いの絆を撚っていく過程にもなります。

 

いたずらにする「禁止」には意味があるのでしょうか。

意味のある禁止はお互いの心に確実に残る「層」を作ります。それが重なっていき、厚みのあるパートナーシップが形作られていきます。

 

最近あるM男くんからメッセージをもらいました。

御主人様からオナニーを禁止されているけれど、苦しくてどのようにして自分の性欲に勝てば良いのか悩んでいるという内容。

以前は私も目くじら立てて「オナニー禁止」

性欲ではなく精神面で繋がりたいのよ!

そんな自分の理想論をびっしり奴隷に強要していました。

今考えればそれも子供みたいな私の我侭をMに受け止めてもらってたんだなぁって思います。

 

今はオナニー禁止を命じる役割ですが

昔、クリスチャンの生活をしていた頃私もオナニーを絶つことと闘った時期がありました。

最初の頃は本当に苦しかった・・・。

 

最初の頃は、動機がきちんとしていなくてただ闇雲に戒律を守ろうと言う考えだったと思うので本当に辛く感じました。

 

誰だって肉の欲望に目をやれば、体に火が付きます。

 

でも、

どうして禁欲するのかの、キチンとした動機付けがあればその動機と自分の思いを照らし合わせながら、心を平穏に保つことが出来ることを学ぶことが出来ました。

もちろん年に何度か失敗して、一人ベッドの下に跪いて懺悔をするという恥ずかしい思い出もありますが・・。

 

自分の肉体の欲望に純粋な動機で打ち勝った時の喜びは本当に心を爽やかにしますし、何より「愛」を体に補給出きるような充足感を得られます。

無償の愛、純粋な人を想う気持ちに動かされた時ほど人が幸せな気持ちになれることは無いと思います。

 

勿論動機が必要なのは禁止されて、言いつけを守る側だけではありません。

禁止を命じる主人側も、何故禁止したいのか。

禁止したことを「言いつけどおり」守った所でMに何が得られるのか。

自分は相手に何を求めているのか。

 

規制する側がその意味を考えず意味がわかっていない時ほど奴隷は苦しみます。

 

形だけの命令ではなく心が望んで自然にしたがいたくなる「見えない鎖」「見えない縄」で拘束することが出きるのが本当の「支配」だと思います。


支配は、支配される者の心を軽くしてあげるべきものです。

虐げるだけではなく、心の平安がなければ本当の意味で相手の心を支配したとは言えないと思います。


言葉で雁字搦めに制約するより

「自由意志」で従う、それが一番強い絆で

それが本当に服従するということです。

 


ここで実際にあった話を。


ある日。

「オナニーしても良いでしょうか?」

「お前はどうしたいの?」

「女王様がするなと言われるなら、良いと言われるまで我慢します」

「お前がそれで私に誠意を示したいならそうしなさい。」

「はい。」

(性欲管理されるというファンタジーの為に自分からオナニー禁止を言い出す奴隷。笑)

 

数週間後。

 

「苦しいです、どうにかなってしまいそうです!」

「じゃあ、ブーツを貸してやるから楽しみなさい。まぁ、オナニーした所で逆に寂しい気持ちになるよ(笑)。ちゃんと報告してね。」

「ありがとうございます!」(←ブーツの匂いでオナニーすることで頭がいっぱい)

 

後日。

 

「どうだった?ブーツは堪能したか?(笑)」

「・・・・・・・・。(涙)」

「終わったら嫌になったんだろ」

「・・・・・はい。もう2度とオナニーはしたくありません。すみませんでした。」

「ブーツ磨いて返しなさいよ。」

 

なんてことがありましたが

自分で嫌な思いを経験すると、2度とやりたくなくなるものです。

主人の命令の下でしか(笑)。

 

無意味に禁止したりするのは、逆に関係という互いの繋がりを無視することにもなると思うのです。

(行きずりの性欲処理の相手なら別ですが・・)


無意味な行為は「繋がり」の無いまま、

お互いが各々隔離されたファンタジーの世界で楽しむアイテムと化してしまうことになるという、裏に隠れた心の意味をすくってあげて欲しいと思います。

禁止したその後の互いの心や関係を考えた上でのルールを楽しんで欲しいと思います。(自分が逆の立場なら、嫌でしょう?)

 

ルールと言う言葉は、規則を意味しますが

支配を意味する言葉でもあります。

 

良い支配で互いの欠けた部分を補い合い、「愛」っていう接着剤で繋ぎ合わせていって欲しいです 。

そして良いパートナーシップが、たくさんのSとMの暖かい関係を生み出していくといいなって、心から願います。

 

最後に聖書の言葉を一つ・・・。

LOVE IS PERFECT BOND (愛は結合の完全な絆です)