捨てられないTバック
もう随分昔のこと。
月に1度メールを送ってくれるMが居ました。
私のサイトの日記を読んだ感想など、
丁寧な言葉を送ってくれる高齢のMでした。
私が緊縛師の修行中、お小遣いをつかって
縛りの古い文献を蒐集していた頃は
国会図書館から大量の資料を集めて
送ってくれることもあったものです。
そんな年寄りMは
昔から文字だけで写真すらないSM雑誌に夢を描き
女性上位の世界で自分が最下層になり
女性に献身したいと望む一人でした。
普段SMをする相手のプライベートを聞くことはあまりないのですがそのMは私の研究に自分の仕事が役立つかもしれないと、自分が学校の元教諭だと明かしてくれました。
ある時
自分は高齢で実際にプレイすることは叶わない身ながら、私の奴隷だと言うことを感じたいと書いてきました。
それには毎月、大手の高級百貨店に行き女性店員に直接尋ね私のサイズに合った上等のTバックを購入して送りたいと言うのです。
昔ながらの日本男児で育った老人Mには女性用の下着売り場に足を踏み入れることも恥ずかしく、そこで女性店員にこういう女性のTバックを下さいと言うのは、最高の羞恥プレイなのだそう。
そんな申し出が可愛く思えたのでそのMに住所と好みのTバックの素材や色など詳しく教えました。
そこから
毎月老Mからの手紙つきの小さな郵便物が届くようになりました。
封筒の中に丁寧に包装された下着を更に何重もの薄紙で包んだものと今回はどういう状況でこのTバックを選んだのか、私の為に勇気を出して恥ずかしさを乗り越えたという話などが添えられていました。
その老Mは定年退職して年金で暮らしていると言っていました。だから、月に1度私に送ってくれる上品なTバックはその老Mにとっては大きな自己犠牲だったのだと思います。
手書きで一生懸命緊張しながら書いたであろう
震えるような筆跡に老Mの健気さを感じて、いつも心が温かくなったものです。
そうして何年かが過ぎ、
私が身に着けるTバックは全てそのMが選んでくれたものになった頃、冬休みを取ってその当時のパートナーと関西を旅行することになった時
(関西のSMバーをあちこち回り、最終的に花真衣さんに会うというSM旅行だった)
はじめて、その老Mと会うことになりました。
記憶が薄いものの
確か大阪のウエスティンに泊まっていたから、部屋に奴隷を待たせて老Mとはウエスティンのロビーラウンジで待ち合わせました。
私が約束の時間に到着すると、グレーのスーツを着た老紳士が静かに立ち上がって私を迎えてくれました。
私には彼がいくぶん震えているのが見て取れました。
老Mの緊張をほぐそうと微笑みかけました。
老Mは一瞬嬉しそうに目を合わせてくれた後、すぐにしおらしく目線を下に落としました。歴の長いマゾが持つ、マゾなりのマナーと言ったところでしょうか。
「やっと顔が見れたね」
そう声を掛けました。
じいさんMは、ゆっくり、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれました。
ホテルのロビーラウンジですから、大きめの椅子に腰かけテーブルを挟むと二人の間の距離は随分と離れています。
それでも、Mは満足げに見えました。
私の作品のどういう所が好きだとか、私の言葉の何が良かったとか、自分のMとしての人生とか、今まで沢山心に溜めていたであろう話をしてくれました。
その当時の私は今よりずっと若かったので早く遊びに行きたかったのもあり、老Mとは1時間ぐらいで別れました。
それから、数年して毎月届いていた贈り物は届かなくなりました。
もう1度会うことは叶わぬまま、私のクローゼットの中には未だに捨てられないじいさんMの選んだTバックが残っています。
ほとんど古くなって買い替えてしまったけど、1枚だけはどうしても捨てる気になれなくて見るたびいつも思い出します。
じいさん、今でも私はお前を忘れてないよ。
天国でも私に合うTバック探しててよね。