21歳の時厳しい家が嫌で、身一つで家出してSMクラブに入りました。
(イラストは以前にSardaxが描いてくれてものの1枚。http://www.sardax.com )
そのお店は6畳ぐらいの応接セットが置かれたカウンセリングをするスペースと、30畳の豪華なプレイルームのあるクラブでした。
ママは当時40代前半でしょうか、とにかく美しくてスタイルが良くて容姿もプレイもこれが女王様だと納得せざるを得ない華やかな方でした。(勿論今も現役です)
地方にはバブル崩壊が押し寄せる少し前で、世の中全体が派手にお金を使う事が美徳のように言われる今とは随分違う華やかな時代でした。身につけるものは全身ハイブランド、遊びに行くのは高級店や有名店。男はバーで高級車の鍵を見せて口説いて来ます。バーで飲んでいたら「あちらのお客様からです」も普通にある時代でした。
SMクラブも、そんな華やかな時代の中でステータスの高い人達に支えられ霞を食って生きる非現実的な風貌と生活の女王様が多く生息していました。
私も、毎日出勤すれば楽に10万もらって帰れるので働いてはDCブランドの服やアクセサリーを買い、遊び、派手に暮らしていました。
そんな明日のことすら何も考えていない小娘の私に、最初の指名客が出来ました。
それは白髪交じりの髪を生真面目に撫で付けた初老の男でした。いつも折り目のついたスラックスに白いシャツを着て時々ジャケットまで羽織って小綺麗な身なりで週に1回会いに来ました。
そして、まだ女王様プレイもさせてもらえるようになったばかりの私の足元に三つ指をつき「奴隷にしてください」と頭を下げるのです。
当時奴隷がどういうものかもわからなかった私に、私の中に真性Sの素質を感じたとか熱心に話してくれました。
最初は毎週通ってくる上客が何をして欲しいのかを知るために、その男が言うことを素直に聞いていました。
その男はFと名乗っていて、民営化された公社で働く堅い男でした。
最初は簡単なことを希望してきます。
私を踏んでください。
椅子のように使って下さい。
などと。
それから徐々に私の世話をしたいと言って、白い木綿で出来たフリルのついたエプロンを持参するようになりました。
ルームに入るとエプロン奴隷になります。
私はその男にいじわるな気持ちが沸いて来て、バケツ一杯の水を汲んで来させ小柄でひ弱な体でよたよたと水で重くなったバケツを一生懸命私の元に運んで来た所を取り上げて30畳のルームにぶちまけます。
雑巾をFに投げて「全部綺麗にしないとお仕置きよ」と命令し、大きな籐の椅子に深く座り足を組みます。
その私を正座し頭を低くしたまま上目遣いで見てから雑巾を拾い、予約した時間のほとんどを拭き掃除に精を出します。
残り時間がわずかになった所で時計を見て、仕方なしにFを床に転がし顔の上に座り
息苦しそうに呻く喉の震えを尻に感じながらFの股間を素足で叩くと白髪交じりの陰毛の中に申し訳なさそうな屹立を覗かせます。
その哀れな様子を私が笑うと、Fはより一層充血して「夏樹様触ってもよろしいでしょうか」と必死に尻の間に隙間を見つけて訴え私が「見ててやる」と言うと嬉しそうに
より一層うめき声をあげ大騒ぎして果てる、そんなプレイをするMでした。
そうするうちに、Fは私に本を買って持ってくるようになりました。
特に家畜人ヤプーを読ませたがっていて、私の感想を聞くのを楽しみにしているようでした。
女王様はこのように奴隷を扱って欲しいのだと、興奮気味に話していたのを思い出します。
それから、私が23歳になったぐらいに妊娠がわかりました。
プレイも覚えて他にも指名客が出来、順調に行っていた時でした。
お腹が大きくなるまでは働こうと妊娠がわかってからもプレイを続けていましたが
ある時プレイ中に出血して流産しかかりSMクラブを辞めることにしました。
Fの夢は私の奴隷として、お店でのプレイではなく一生私に仕える事でした。
その頃には私はFのことを可愛いと思う気持ちを持つようになっていたので、お店を辞める前にFを食事に誘いました。
嫉妬深い男と一緒に暮らしていたので、二人で会う時間を作るのも苦労した気がします。
中洲の入り口にあるカニ料理の店で、会いました。
当時は客とお店以外で会うことは店外デートだと言われ厳しく禁止されていたので初めてのことで、Fもとても緊張しているようでした。
言葉少なに料理を食べ、酒を飲み1、2時間ぐらいが過ぎFは私に「いつか女王様として戻って来てほしいです。もしその時が来たら・・・」と、自分の本名と勤めている会社の電話番号を教えてくれました。
それから数年経ち・・・
離婚する時、子供も家もお金も全て失い本当の身体1つで人生を再スタートすることになりました。
住むところもないので焼き肉屋に住み込みで働き、食べるものはまかないですませ毎月のお給料で洋服を揃えていくという日々。週6日16時から朝4時まで働いてもお給料は月14万。子供連れの客が来ると泣くのでいつも店長から叱られ、何とも情けない状況でした。
これでは人生を建て直せないと、スカウトされた寮のあるラウンジで働くことにしました。SMには慣れていましたが普通の会話など出来るハズもありません。
くだらない世間話に笑顔で相槌を打つのも辛く、自分は一体どうしたら良いのかと途方に暮れたものでした。
そんなある日、Fのことを思い出しました。
最後に一緒に食事をしたカニ料理の店の前を通りかかりながら、Fが言った
「戻って来て下さい。その時にはここに電話をしてください」という言葉を思い出したのです。
電話ボックスに入って、番号案内でFの会社の番号を調べました。もらった紙はとっくの昔に捨てていたので。
早速案内された番号にかけ、Fの本名を告げつないでもらうよう伝えました。
本当につながるのか半信半疑でしたが。
しばらくして、電話口に男の声が聞こえてきました。
「私。」
「はい?」
「わかる?私」
「いやちょっとわかりませんね」
「夏樹」
「・・・・・」
男は電話の向こうで固まっているようでした。
うろたえたような声で何かを言っていました。
よくは覚えていませんが。
それから、私の働いていたラウンジに呼びつけました。
指名客などいないやる気のない従業員だった私に「ご指名です」と店の人が告げます。
申し訳なさそうに体を小さくしてFが入ってきました。
数年ぶりの再会でした。
Fは、とても嬉しそうでした。
「まさか呼びつけて頂けるとは」と。
私はFの飲んでいるウイスキーの水割りが入ったグラスを手に取り、周りに見えないようにそっとグラスに唾液を垂らしました。
有難そうに、飲む姿にザワザワとして感覚が蘇るのを感じます。
他の女の子に見えないように、テーブルの下でFの足をヒールで踏んでみました。
Fは驚いた顔をして声を出さないようこらえています。
その様子がたまらなくて、人生全てに諦めを感じていた私の心に力が沸いてくるようでした。
それから、Fはその店に通うようになり
暇な日は周りからはFに私が甘えるように寄りかかりながらFの腹を殴りました。
ロックグラスをトイレに持っていって聖水をテーブルに置き、他の人が見ている前で飲ませました。Fは両手でグラスを包み噛みしめるように嬉しそうに飲み干すのでした。
別の日、その店に来た客が風俗店を経営していて私が働いていたクラブのママを知っているというので、その場ですぐに電話させました。
数年ぶりにママにつながり、後日移転したかつて働いたクラブへ行きました。
SMをしたくてたまらず夜の店が始まるまで、とか夜が休みの日にSMクラブに出るようになりました。
お金も家も何も持たない私はまた、自分のプレイで一つ一つ暮らしを建て直していくことになります。
今まで何度も全て失い貧乏することがありましたが、その度自分のSMだけで全てを取り戻し自己実現してきました。
そんな私のSM人生の最初に、私を育ててくれたFという奴隷がいてくれたことを
今は感謝しています。
Fとの話はもう少し続きますが、それはまた別の機会に。