SMには生/性と死が深く関わる。
SMと共に生きるという事は
多くの生と死の境界に触れながら生きてきた時間でもある。
自分の過去を書くためだけに
関わってきた大切な人たちの苦しみを利用するようなことはしたくなかったし
書くことは、辛い記憶にアクセスする事でもあるから
どうしても書きたくなくて、書けなくてもう長い年月が過ぎた。
私のSM、人生について話すときに必ず必要になってくるこの苦しみの多い部分も含めて勇気をもって書いてみようと思う。
昔、今のようにSMがオープンではなかった。
SMというと眉をひそめる人も多く、AV出演自体が転落した女性の行き着くどん詰まりのように思う人も多い時代にSM作品に出るということは女優としての最後を意味するような時代だった。
SMクラブに来るお客さんもSMの遊びをしていることは決して明かせない秘密だったし、プライベートでSMをやっている女の子は心を病んでいる状態の子が多かった。
薬で物事の判断がぼんやりしていたり、セックス依存の果てにSM的調教やプレイがあったりする場合も多く先の見えない闇の中のような関係も多かった。
20年ぐらい前の私は自分自身が人生を描けず卑屈でMの依存によって自分を支えていたような頃があった。
Mやパートナーに愛情を試され振り回される繰り返し。
プレイは過激になり、依存は束縛になり、息苦しさしかないものになっていく。
それでもSMが必要で、狭い視野の中であがいていた。
多くの人が性の悦びに飢え、いつでも日常を捨てたがっていたし、いつでも死にたがっていた。
死の恐怖から逃れるように厳しい責めを望み、死の恐怖に魅了されるように苦痛に陶酔した。
私も24時間SMの中に居た。
仕事もSM、プライベートもMの恋人と生きる。
いつも心が欠けて亡者のように私の全てを求める人たちと過ごした。
私の苦しみを知ってくれる人も共感してくれる人もいない中で正気を保つ方法も知らず、SMに没頭していた。
正気を保つ方法があったとしたら大酒を飲んでその場しのぎのSMではない快楽を食い散らかすぐらいだった。
心を病んだ女の子たちの死にたがりを手放させ、不安でいっぱいの男子を所有した。
私の心が離れる不安から目の前で命を終わらせようと自分の腹を切ったり、体にナイフを立てたりするパートナーたちに苦しんだ。愛した人の望むまま自分の手で命を終わらせようとした事もあった。
自分が死ぬより辛い記憶は多い。
私の思いは誰にもわからないのだと思って生きていた。
ぼんやりと思い描く純愛のようなSMにどうやったらたどり着けるのか考え沢山の本を読んでも、その当時の私にはわからなかった。
そんな頃、ある人と出会う。
孤独に生きてきて人を受け入れ続けてきた、自分のような人に感じた。
私がMのことで苦しんでいる時、はじめて「わかるよ」と言ってくれた人だった。
彼もこれまで何人ものM女性の人生を引き受けて来たと。
「俺たちはそういう役割だから仕方ないんだよ。でも俺はわかるよ貴女の痛み」
そんな風に肩を叩いてくれた。
誰にも自分の気持ちを明かさず自分の世界を閉ざしたまま自分流の道を進む人だった。
私はその悲哀ごと引き受けたいと、その人の全てを次の時代に残すことを決めた。
(受け継ぐ過程の大変さをアピールする気はないのでここでは書かない)
数年が過ぎた時、突然変化が訪れた。
飄々として激務をこなすその人を病が襲った。
どんどん、私の知らない人になっていく。
ある時ぽつりと言った。
「俺は見殺しにした」と
Mは愛情を試すために死のうとすることがある。
それを繰り返し繰り返し受け止めながら生きることは本当に苦しいのは痛いほど知っている。助けられなかったことがあるのだと男泣きに泣いた。
私は大きく震える背中を抱きしめて一緒に泣いた。
誰も責められない。責めちゃだめだ。
私にも何度もあの苦しいシーンが蘇る。
SMが救いであり、SMが無くなれば0になる不安。
その時の私にはどうすれば良いのかも全くわからなかった。
一緒に闇の中を生きることしか出来ない世界なのだと思っていた。
それから・・・2年
毎日のように明け方救急車に同乗し薬を管理し生活を支える。
自分の仕事も私の仕事も全部ぶち壊して回る。
素晴らしい実績も自分で台無しにしていくその姿に絶望するばかりだった。
一緒に居て絵本を読んであげると安らかに眠る、その姿は本当に子どものようだった。
だけど
その人が生きるためにも私が生きるためにもその人の人生から離れた。
そして私は決めた。
その人の苦しみ、痛み、全てを食らって
自分の血肉にして生きていこうと。
その人が人生を賭けて考えた縛りを終わらせないと。
守破離を超えて
気づけば私の持っている感覚、人の痛みを感じ取り理解する特別な感覚が
縄に宿るようになった。
愛する人たちの死へと向かう衝動、渇望とどう闘うか。
どう向き合うか。
そして何が出来るか。
一子相伝の吊りも
自分の命と相手の命を一緒に奪うような吊りを封印した。
その要素を封印して、相手を活かす吊りに変えた。
それが「月下美人」。
沢山の苦しみ、命の叫びと共に出来た縛りだから
この縄、この人生は
誰かを活かす為に使いたい。
私は縛りを人を罰する、戒め(縛め)るものではなく
人を活かすものにしたい。
不安や欠乏感に縛りつけるものではなく、心を覆う鎧を縛ってそこから解き放つ役割として未来へ後押しするものにしたい。
今までのSM/緊縛がどのようなものであったとしても
人を活かすSMをしたい。
その道を拓きたい。
明智伝鬼さんが生前「今の人たちは自分たちが荒れ野を切り拓いて作った道を歩いている」と言われていた言葉を思い出す。
私は自分の思うSM/縛りがこれからの時代に必要な在り方として道を拓いていけると信じている。
私の願う、希望に繋がるSMという形にはまだ届かないのかもしれない。
私の暁はまだ先なのかもしれない。
それでもずっと追い続け描いて行きたい。
感情をコントロールして書くにはまだ時間が必要なようで上手く書けずごめんなさい。