そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

心と形(過去のコラムから)

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■心と形 (06/09/03)
毎日のニュースを見ても、SMの世界を見ても
どんどん切ない世の中になっていっている気がします。
毎日起きる事件の裏にある人の心の崩壊、人と人との関係の崩壊は「精神世界」であるSMにも如実に現れているような気がしてなりません。
人と向き合う心だったり、歴史や人を敬う心だったり。
色んなものが崩壊しているようで怖いです。

まず・・・「敬う心」は仕事の世界で感じます。
そして「向き合う心」はプレイの世界で感じます。
全てが1本貫く基本的なものを失いかけているように思えてなりません。
SMの世界は、一体どこへ向かっていくのか不安で仕方ありません。

(自分の思い出話から始めるのは恥ずかしいことで恐縮ですが・・・)
 
15年前、自分が初めてお金を貰ってプレイする仕事のSMの
世界に入った頃、SMは完全なる縦社会でした。 もろ体育会系。
女王様として1人でお客さんを任せてもらえる
(M男さんとプレイさせてもらえる)までも一苦労で、とても厳しかった。
それはサービスを提供する側としてお客さんを思うお店の姿勢と、苦労してお店を持ったママの意地でもあったと思います。
これがあったから、勉強できたと思いますしその意地を理解でき自分の中にも持つことが出来たと思います。
(余談ですが、だからといってテストでテクニックを見て昇格させたりということをするのは良くないと思います。試験は技等表面上、形式的なSMを詰め込む教育になってしまうので、そうしたシステムは最悪だと思いますです。)

年齢関係なく実力主義とキャリアの縦社会。
普通のスポーツや芸能や工芸や技を磨く世界では当然のことだ
と今も思っています。 何しろ一度技術を身に付ければ一生自分を
助けてくれる(食っていける)技術を習得するのですから。

先輩に対する敬意とか、義理とか筋とか
そういうの好きじゃない、とか言う問題じゃなく
それがなければ居られないような世界だったはずが・・・
今はある意味無法地帯化している様に思います。
SMじゃなくても、普通の社会でも大切なことだと思うんです
けどね;(筋を通さない人に筋を通す義理はないですが)
だから皆上を目指して精進するのに。
先人の切り拓いてきた道は大切に敬われるべきだと思いますが
寂しいばかりです。

名前を受け継ぐ、形式的な技を受け継ぐ
昔の捕縄の流派は数多くありましたが、親から子へという形の
継承ではなく、技術と師範の精神を受け継ぐことが出来る者だ
けにしか継承されなかった様です。
技の裏にある「精神」が理解されていなければ、「技」は「技」でしか なくなりますから、「技」を大切にするなら当然のことだと思い‪ます。
 
どうして近頃は資格を取るのが趣味というか目標のようになって
誰も彼もが何かの資格や肩書きを欲しがるんでしょう。
それは普通の社会でもSMでも全く一緒の現象のように思います。
例えば、近頃大流行りの「カウンセラー」「セラピスト」の資格
たくさんの人が取るために勉強しに行っている様で(うちの姉が大学で教
える側に居るので希望する生徒さんが多くて大忙しだということをよく耳にします)
世の中そんなにセラピストが増えて、本当に心の癒しが社会全体に行き
渡るのでしょうか!?

知識は行動や経験と結びついて初めて自分の教養になるといいます。
色んな診断法、治療法を覚えても実際それが本当の治療に繋がるということも少ないようです。
名医を探して病院に行かなくては、なかなか病気が治せないのと一緒の現象が起きているようです。
これってSMと同じだと思うのです。
技を沢山身に付けたとして、誰々流という肩書きを持ったとして
自分の前に座って、自分の助けを真剣に求めてくれるMの心を大切に見
て受け止めてあげることが出来なかったら、単なる自己満足で相手を振り回して大きな傷を心に残すだけの、罪深いことになると思います。
(Mの側も自己満足で関係性とは違うところで自己完結して満足している場合もあるので全てとは言いませんが)

それは谷崎の世界の様に、女性が男を翻弄して踏みにじるというのと違います。表面上は似ているように見えても、底辺に流れる精神性が全く違います。
女王様がステレオタイプの姿かたちで、「女王様よ!」という感じで、強そうで、怖そうで、男を虐めればいいっていうものじゃないように。
プレイの後に仲良く一緒に酒を飲んで馴れ合いをしたりプレイ以外で労われば良いということでもないと思うのです。
SMはSM。
プレイや調教の中で相手をしっかり見詰めて受け止めないと、SMの意味はないと思います。
痴人の愛」のナオミが悪女だとか男を翻弄するS女性の原型だと言って
も我侭をすれば良いというのではないのです。
我侭で男心を踏みにじって奔放に生きるだけではない、ナオミの可愛らし
い女の部分が、可愛らしく愛情を求めたり与えたりする部分が あるから翻弄されるのです。
(補足ですが増村監督の「痴人の愛」はそれがよく感じられると思います)
その微妙な違いを履き違えることが多いように思います。
 
SMの関係は、本当に脆くて儚い小さな接点で不安定にぶらさがりなが
らも、必死にお互いを求め支えあう努力をしないと続いていかないものだと思います。
大概Mが一人で感情を押し殺してSに笑顔を見せてくれることが多いです
が、その気持ちを確かに有り難く感じ抱きしめて上げなければ Sは単なる裸の王様です。
Sが偉いわけでもありません。
役割分担の上でどちらが主人かということで、互いに感謝し思いあう気持
ちがなければ女王様と奴隷の世界は、
いわゆる常人には理解し難い醜い単なる異形の世界です。
 
資格でも肩書きでもなく、「Mとの向き合い方」それにつきると思います。
それがSMの世界の素晴らしい所だと思うのです。
行為としてソフトでも、精神的にハードな責めもたくさんあります。
鞭なんて意味無いことも多いです。
相手を捕まえてねじ伏せる心と目だけで充分です。

精神世界や、技の世界は資格的なものではないと思いますが。
資格や肩書きを手に入れればそれで仕事がもらえるから
それを目指す・・・それじゃあ良いものの本質は残っていかな
いと思うのですが・・・。
どんどん昔からの良い
縦社会が崩壊していくのが悲しいです。

ずっと一マニアであり続けつつ、プロとしての責任も持っ
てやっていきたいです。

SMが好きなら、SMをしっかり見て大事にして欲しい
つくづくそう思うことが多い今日この頃です。
カッコつけるためにやるSMはMを傷付けるだけです。
使い捨て、遊び捨てするのも無責任。
カッコって一体何なんでしょうね。
自分の快楽のためにM(基本的に一生懸命Sを喜ばせようと
自分を押し殺したりしますから)を弄んだりするのも・・・
悲しいですね。
近頃毎日起こる、殺人事件と同じくらい寂しいことです。
心を通わせ、当たり前のものを大切にすること
無くしたくないと思います。