そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

心と形(過去のコラムから)

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■心と形 (06/09/03)
毎日のニュースを見ても、SMの世界を見ても
どんどん切ない世の中になっていっている気がします。
毎日起きる事件の裏にある人の心の崩壊、人と人との関係の崩壊は「精神世界」であるSMにも如実に現れているような気がしてなりません。
人と向き合う心だったり、歴史や人を敬う心だったり。
色んなものが崩壊しているようで怖いです。

まず・・・「敬う心」は仕事の世界で感じます。
そして「向き合う心」はプレイの世界で感じます。
全てが1本貫く基本的なものを失いかけているように思えてなりません。
SMの世界は、一体どこへ向かっていくのか不安で仕方ありません。

(自分の思い出話から始めるのは恥ずかしいことで恐縮ですが・・・)
 
15年前、自分が初めてお金を貰ってプレイする仕事のSMの
世界に入った頃、SMは完全なる縦社会でした。 もろ体育会系。
女王様として1人でお客さんを任せてもらえる
(M男さんとプレイさせてもらえる)までも一苦労で、とても厳しかった。
それはサービスを提供する側としてお客さんを思うお店の姿勢と、苦労してお店を持ったママの意地でもあったと思います。
これがあったから、勉強できたと思いますしその意地を理解でき自分の中にも持つことが出来たと思います。
(余談ですが、だからといってテストでテクニックを見て昇格させたりということをするのは良くないと思います。試験は技等表面上、形式的なSMを詰め込む教育になってしまうので、そうしたシステムは最悪だと思いますです。)

年齢関係なく実力主義とキャリアの縦社会。
普通のスポーツや芸能や工芸や技を磨く世界では当然のことだ
と今も思っています。 何しろ一度技術を身に付ければ一生自分を
助けてくれる(食っていける)技術を習得するのですから。

先輩に対する敬意とか、義理とか筋とか
そういうの好きじゃない、とか言う問題じゃなく
それがなければ居られないような世界だったはずが・・・
今はある意味無法地帯化している様に思います。
SMじゃなくても、普通の社会でも大切なことだと思うんです
けどね;(筋を通さない人に筋を通す義理はないですが)
だから皆上を目指して精進するのに。
先人の切り拓いてきた道は大切に敬われるべきだと思いますが
寂しいばかりです。

名前を受け継ぐ、形式的な技を受け継ぐ
昔の捕縄の流派は数多くありましたが、親から子へという形の
継承ではなく、技術と師範の精神を受け継ぐことが出来る者だ
けにしか継承されなかった様です。
技の裏にある「精神」が理解されていなければ、「技」は「技」でしか なくなりますから、「技」を大切にするなら当然のことだと思い‪ます。
 
どうして近頃は資格を取るのが趣味というか目標のようになって
誰も彼もが何かの資格や肩書きを欲しがるんでしょう。
それは普通の社会でもSMでも全く一緒の現象のように思います。
例えば、近頃大流行りの「カウンセラー」「セラピスト」の資格
たくさんの人が取るために勉強しに行っている様で(うちの姉が大学で教
える側に居るので希望する生徒さんが多くて大忙しだということをよく耳にします)
世の中そんなにセラピストが増えて、本当に心の癒しが社会全体に行き
渡るのでしょうか!?

知識は行動や経験と結びついて初めて自分の教養になるといいます。
色んな診断法、治療法を覚えても実際それが本当の治療に繋がるということも少ないようです。
名医を探して病院に行かなくては、なかなか病気が治せないのと一緒の現象が起きているようです。
これってSMと同じだと思うのです。
技を沢山身に付けたとして、誰々流という肩書きを持ったとして
自分の前に座って、自分の助けを真剣に求めてくれるMの心を大切に見
て受け止めてあげることが出来なかったら、単なる自己満足で相手を振り回して大きな傷を心に残すだけの、罪深いことになると思います。
(Mの側も自己満足で関係性とは違うところで自己完結して満足している場合もあるので全てとは言いませんが)

それは谷崎の世界の様に、女性が男を翻弄して踏みにじるというのと違います。表面上は似ているように見えても、底辺に流れる精神性が全く違います。
女王様がステレオタイプの姿かたちで、「女王様よ!」という感じで、強そうで、怖そうで、男を虐めればいいっていうものじゃないように。
プレイの後に仲良く一緒に酒を飲んで馴れ合いをしたりプレイ以外で労われば良いということでもないと思うのです。
SMはSM。
プレイや調教の中で相手をしっかり見詰めて受け止めないと、SMの意味はないと思います。
痴人の愛」のナオミが悪女だとか男を翻弄するS女性の原型だと言って
も我侭をすれば良いというのではないのです。
我侭で男心を踏みにじって奔放に生きるだけではない、ナオミの可愛らし
い女の部分が、可愛らしく愛情を求めたり与えたりする部分が あるから翻弄されるのです。
(補足ですが増村監督の「痴人の愛」はそれがよく感じられると思います)
その微妙な違いを履き違えることが多いように思います。
 
SMの関係は、本当に脆くて儚い小さな接点で不安定にぶらさがりなが
らも、必死にお互いを求め支えあう努力をしないと続いていかないものだと思います。
大概Mが一人で感情を押し殺してSに笑顔を見せてくれることが多いです
が、その気持ちを確かに有り難く感じ抱きしめて上げなければ Sは単なる裸の王様です。
Sが偉いわけでもありません。
役割分担の上でどちらが主人かということで、互いに感謝し思いあう気持
ちがなければ女王様と奴隷の世界は、
いわゆる常人には理解し難い醜い単なる異形の世界です。
 
資格でも肩書きでもなく、「Mとの向き合い方」それにつきると思います。
それがSMの世界の素晴らしい所だと思うのです。
行為としてソフトでも、精神的にハードな責めもたくさんあります。
鞭なんて意味無いことも多いです。
相手を捕まえてねじ伏せる心と目だけで充分です。

精神世界や、技の世界は資格的なものではないと思いますが。
資格や肩書きを手に入れればそれで仕事がもらえるから
それを目指す・・・それじゃあ良いものの本質は残っていかな
いと思うのですが・・・。
どんどん昔からの良い
縦社会が崩壊していくのが悲しいです。

ずっと一マニアであり続けつつ、プロとしての責任も持っ
てやっていきたいです。

SMが好きなら、SMをしっかり見て大事にして欲しい
つくづくそう思うことが多い今日この頃です。
カッコつけるためにやるSMはMを傷付けるだけです。
使い捨て、遊び捨てするのも無責任。
カッコって一体何なんでしょうね。
自分の快楽のためにM(基本的に一生懸命Sを喜ばせようと
自分を押し殺したりしますから)を弄んだりするのも・・・
悲しいですね。
近頃毎日起こる、殺人事件と同じくらい寂しいことです。
心を通わせ、当たり前のものを大切にすること
無くしたくないと思います。
 
 

花を咲かせるのは無垢な心。(去年残した言葉)

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人は皆価値があって

誰でも

美しく咲くことが出来るのです。

その花を美しく開かせるのは無垢な心。



笑った顔、泣いた顔、眉間に皺を寄せた顔を

隠さないで。

十分あなたは素敵なのだから。

自信を持って、思い切り咲いて欲しい。

そう願っています。

心を預けてくれてありがとう。


photo: Steve gaudin

縄を伝う悲しみ。

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相手の苦しみが縄を伝って自分の中に流れて来て辛くなる事がある。‬‪縛りながら涙が止まらなくなる。‬


‪今まで辛かったね、悔しかったね、怖かったね、寂しかったね。‬


‪大人の姿をした相手の中に膝を抱えて泣いている小さな子供が見える。‬


‪その姿を見つけると思わず縛る手を止めて

抱き締めてしまう。‬


‪こんなキツいことしなきゃ自分を許せないなんて、本当に哀しいね。‬

‪責めたくないよ。‬

‪抱き締めていたいよ。‬

 

‪でも、その痛み‬

‪私が一緒にもらうから‬

‪この責めを越えて‬

‪自分を許してあげに行こう。‬


‪私が一緒だから怖くない。‬


‪ずっと見てる。‬

‪絶対に守るから、安心して。‬


‪必ず助けるから私を信じて。‬

最後に捧げた駿河問い。

ツイートで嫌と言う程書いてきましたが改めて私がショーを1から修行した場所、六本木ミストレスの本当の最後の夜について書きたいと思います。

f:id:aoyamanatsuki:20190701173530j:image(駿河問い)

私が六本木ミストレスに入ったのは2001年の12月でした。いくつも恋をして沢山仕事をして夢を掴んできた思い出が詰まった場所です。

 

女王様プレイにしか興味が無かった当時の自分が緊縛、特に吊りの楽しさを知ったのもミストレスでした。相手の体が宙浮き、生殺与奪の権利が自分の右手だけに握られるSとしての興奮がそこにはありました。吊りにはそれだけではなく、Mの雑念を一瞬にして無効化する効果もあります。吊りの奥深さ、面白さ、そして危険も学びました。

 

月に1度緊縛師がゲストで来てショーをやるというので、後の自分の師匠のショーを観ました。男性がSのSMに全く興味が無かったので期待せず観ていました。ところが、そのショーは私がやっているのと変わらない心の対話のSMでした。

そこから興味を持つようになり、後に粘って粘って弟子入りするようになります。

 

弟子入りしてからは、女王様縛りをやめるように言われ本格的に縄だけで魅せるパートナーが主役の縛りを習得するようになるのですが男の師匠がやっている吊りは物理的に女には難しいと思われるものがいくつかありました。

難易度が高いものはほぼそうです。

 

狂言でプロとしての進級試験であり登竜門が「釣狐」であるのと似ていて、最終的に独り立ちする前に習得すべき吊りがありました。

それは現在、パートナーの首への負担を考えて私がアレンジした「月下美人」の原型となる元師匠の前のついた吊りでした。

f:id:aoyamanatsuki:20190701173404j:image(月下美人)

1つでもセッティングが失敗すればパートナーは落下してしまう吊りで、完成形まで壮絶な痛みが伴います。勿論完成してもキツいですが。

 

私は師匠から習う時は、その当時の自分の男のパートナーと練習しました。※「一本鞭」に出ていた空(くう)

実際やってみると、私の体重より30kgは重い男をあの形に手の力だけで引き上げるのは不可能に思えました。

出来なくて

「女だから力がない」とシステムのアレンジを希望すると

「俺の名前のついたこの吊りを変えるなら、この吊りをやることは絶対に許さない!」

「女だから上げられない!この方法でやらせて欲しい!」

「認めねえ!」

「絶対やります!」

っと何度も楯突いて泣くまで大喧嘩して、手をボロボロにして特訓しました。

 

80kgの男はビクともしないのです。

 

そんなある時、縄目の感覚に気付いて

「もしかして、こう言う事ですか?」

と聞くと

「やっと気付いたか。やってみろ」

とチャンスをもらいました。

 

すると、上がりました。

完璧な位置までは無理でしたが及第点は貰えました。

 

セッティング時、全てのポイントを踏まえてその先に必要なのは80kgを持ち上げる筋力ではありませんでした。縄目に気付いて、縄目を正しく扱えればシステムは機能するのです。

この吊りがプロとしてのスタートになる吊りだと言う意味がやっとわかりました。この吊りが出来れば全ての必要なテクニックを習得した事を示すものになるのです。

 

そこから10年近くコレと言う形に決められず居たりもしました。やっと自分のものに出来て来たと感じられるようになったのは改良を加えたここ数年の事です。

 

話は駿河問いに戻ります。

 

元師匠とミストレスの社長から、駿河問いと言う吊りについては何度か話を聞いていました。

日本の拷問史上最も過酷な吊りだと。

 

それから文献を読み漁って調べるうち、どんどん駿河問いに心奪われて行きました。

幕府が倒れる時に拷問に関する警察機関の資料は日本の恥として廃棄が命じられ本当の闇の歴史としてごく少ない史料しか残っていないのだそうです。

 

どうしても知りたくて、明智伝鬼さんの縄の講習を受けた時明智先生に「駿河問いを見せて下さい!」とお願いしたこともありました。明智先生は駿河問いについてはあまり詳しくないと言われ、それに似た吊りを見せて下さいました。

 

元師匠のショーでは駿河問いのような吊りが見られました。(今、私もやっているので残っていますが)

興奮気味に駿河問いについて聞くと「あれは本当の駿河問いではない」とのこと。

私はどうしても、本物の駿河問いがやりたいと思うようになりました。

 

本物の駿河問いと言うのは四肢を1つにまとめて縛ったものを1点で吊り上げます。

この吊りは上がった時点から地獄の苦しみで5分耐えることも難しいのです。この残酷な吊りで多くの強情な犯罪者の口を割らせて来たのですから当然です。吊られて放置されると骨が軋み口から泡をふくと言われています。更に時間が経つと内臓のダメージで血もふくと書かれた文章を見た事があります。

とにかく、強さに自信のあるMも直ぐに苦しさから逃れようと腰を持ち上げます。

ですから、腰が落ちたままのティアドロップのような形のまま長い時間耐える姿は「この痛み、苦しみを受け入れたい」という気持ちの現れなのです。

駿河問いが最高に美しい涙型に決まる、ここが私の考える駿河問いの最高の見所です。

 

ただし、これは月下美人以上にパートナーの体重を腕だけで挙げなくてはいけません。

セッティングも重要。

そして縄目を読めることが最も重要になります。

 

男性の力がある人が力で挙げるのとは違います。

 

バランス、セッティング、縄目、パートナーの呼吸、全てがコントロール出来れば、非力な私でも自分より体重の重いパートナーを挙げられます。

 

SMの興奮は、立場の逆転やギャップにあります。

女の私が腕で1人の人間の体を引き上げ、腕1本で保持して吊りで責める。

たった2本の縄で。

私はここにSMの醍醐味が集約されているように思います。

 

今まで、駿河問いは緊縛師のショーでしかやらない吊りでした。でも最後に、と思うとミストレスでは最後までミストレスとしてやりたいと思いボンデージにブーツのままショーをやる事にしました。

果たして踏ん張りの効かないプラスチックソールのブーツで駿河問いは出来るのか!?

自信はありませんでした。

ただ、プロとしてやって来た自分の対応力には自信があったので心が動くままに駿河問いのセッティングを始めました。

沢山の方が固唾を呑んで見守って下さっている。

何をされても私に全てを預けてくれるパートナーがいる。

私が女王として、緊縛師として夢を育てた場所に今まで修行して身につけた全てを捧げたい。

その気持ちだけに動かされて、吊り床に縄を掛けました。

 

まず1度縄の緊度を高めるように縄を引きました。

ここまで来てやっと、自分が減量で彼女より4kg軽くなっている現実に突然気づきました。

 

でも、どうしてもここに

社長に、私の歴史を捧げたかった。

 

昔、元師匠がミストレスで本物の駿河問いをやった時、社長が思わず興奮してお客さんに「これが駿河問いです!」とショーの途中でマイクを入れた話を思い出していました。

 

普段なら2回で挙がりきるところを、何度も何度も繰り返しました。私の手が壊れても絶対にこの手は離さないと自分に言い聞かせて。

 

すると上がりきる頃、社長の声が聞こえて来ました。

 

「お客様、これは最も辛い駿河問いです」と。

 

縄を持ちながら、涙が込み上げてヘタリ込みそうになりました。

 

私の気持ちを受け取ってもらえたようで。

 

ここで生まれて、ここで育って、苦しんだ時間が祈りのように美しく昇華されたような瞬間でした。

 

パートナーの駆ちゃんは初めてショーで感情を出し今日送ってくれた感想には

「人生で初めて心と身体が1つになったように思います。」と書かれていました。

 

 

誰かに捧げたくて吊りをやったのははじめてでした。

それは忘れられない祈りになりました。

 

ありがとうございました。

 

その時の動画はここで↓

https://twitter.com/natsukiss1018/status/1145298818134507520?s=21

 

 

 

 

 

私の醜い手。

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朝起きて手を撮ってみました。

難易度の高い吊りをやると数日は指が腫れます。

 

私の指は縄ダコというか、縄で指が変形しています。特に右手は人差し指は太く、縄を乗せる関節の部分が骨も大きくなっています。

縄が通る部分の節が不格好に発達して縄の負担が掛かる場所が良くわかります。

女としては恥ずかしいのですが、仕事ですから仕方ありません。ネイルで誤魔化しています。

 

緊縛師の修行時代、師匠に「手を見せてみろ」

と言われたのを思い出します。

私の手を取って、触ってみて縄ダコの出来ている場所をチェックし「ちゃんと縄を扱えてるな」と言われたのがとても嬉しかったこと、今でも覚えています。

 

私の縄は武道からの流れを取り入れた考えで出来た流派です。

基本は力を入れず、縄を扱います。

必要なポイントだけ、縄を強く引きます。

縄筋を整えて扱う為に指が火傷のようになるまで縄に強い圧を掛けて縄を送り出します。

縛られる人には強い力は影響しませんが、私の指には要所要所で強い力が乗ります。

私の縄の特徴は、縄を走らせることです。

縄を無理に引いたり押したりせず、脱力し指の上に乗せ縄の向かう方向を指で縄に教えるだけです。

無駄な力が加わると縄は繊維が流れて行かず、飛んだり走ったりしてくれません。

 

何だか人の心も同じだなと縄に教えられます。

 

ショーで縛る時は特に、スピード勝負という事もあり縄を握りこんだりせずひたすら指の上を滑らせます。縄にブレーキを掛けるのも指。

縄を矯正するのも指。

指に縄を乗せて関節部分で強めの力を掛けて来た結果がこの変形した醜い指です。

つくづく美しくないなと思います。

でも自分の手が好きです。

緊縛師としてのこの手を誇りに思います。

 

この数年は縄ダコも柔らかくなって来ました。

自分的には、より力を抜いて縄を扱えるようになってきたのかなと嬉しい気持ちです。

 

この先、死ぬまで自分の芸をどこまで無駄を削ぎ落として突き詰めていけるか楽しみです。

ショーで魅せる夢、繋がる希望。

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ショーやビデオは私が舞台の上や画面の中でプレイをしているのを大勢の方が観ます。

一方向に発信する行為のようですが

心を込めたプレイをする事で受け取る側の方と思いが繋がる事があります。

それは感情移入するシンクロ(同調)だったり、放った音が跳ね返る音の反響のようだったり、水紋のような広がりとなって静かに起きる波のような刺激だったり、反応の起こり方は様々です。

 

嘘のない心の表現は、表面上のパフォーマンスを超えて人の心に深く沁みわたるように感じます。それはまるで心を揺らし琴線を震わせる弦楽器のようです。実際にショーの途中で縄を引く時は心を震わせる弦楽器を奏でているような感覚になります。 

 

先日初めてSMの空間に来てくれて、初めてSMショーを観てくれた男子から素敵な感想をもらったので、本人の許可を得てみなさんとシェアしたいなと思います。

 

「今日は素敵なショーと時間をありがとうございました。
帰り際ご挨拶せず帰ってしまい申し訳ございません。。
生まれて初めて観た緊縛が夏樹さまのショーで本当に良かったです。

SMの世界の素敵な思い出がまた一つできました。
僕は緊縛について何も知らなかったのですが、細くて柔らかい麻縄が縄の緊張を感じないほど肉体をやさしく吊り上げている事、その事を可能にする夏樹さまの縄さばきに、みとれてしまいました。

丁寧に縄がほどかれていき、床に落ちた縄の捌ける動きまでもが綺麗で素敵でした。反転して蝋の妖艶な灯火、滴る滴と、ばら鞭の音が木霊する時の緊張に息をのみました。
ショーの隅々まで夏樹さまの魂が籠っていて特に縛りを観ていてとても温かい気持ちになりました。


お忙しい中、個人的にも素敵な時間を与えてくださり感謝します。
今日夏樹さまからいただきました温かさを僕自身なりに見習わせていただき毎日を生きる教訓にします。
今日、僕の変態人生に1つの希望が見えました、ありがとうございました。
またお会いできる事ありましたらよろしくお願いします。」

 

とても嬉しかった。

ありがとう。

こうして、心を込めた表現が波紋のように同じ空間に居た皆さん、そしてそれを画像や動画で観て下さる多くの方に広がっていくことは表現するものにとってなによりの幸せ。

 

今度改めてゆっくりお話ししよう。

 

 

はじめての奴隷。

21歳の時厳しい家が嫌で、身一つで家出してSMクラブに入りました。

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(イラストは以前にSardaxが描いてくれてものの1枚。http://www.sardax.com )

そのお店は6畳ぐらいの応接セットが置かれたカウンセリングをするスペースと、30畳の豪華なプレイルームのあるクラブでした。

ママは当時40代前半でしょうか、とにかく美しくてスタイルが良くて容姿もプレイもこれが女王様だと納得せざるを得ない華やかな方でした。(勿論今も現役です)

 

地方にはバブル崩壊が押し寄せる少し前で、世の中全体が派手にお金を使う事が美徳のように言われる今とは随分違う華やかな時代でした。身につけるものは全身ハイブランド、遊びに行くのは高級店や有名店。男はバーで高級車の鍵を見せて口説いて来ます。バーで飲んでいたら「あちらのお客様からです」も普通にある時代でした。

 

SMクラブも、そんな華やかな時代の中でステータスの高い人達に支えられ霞を食って生きる非現実的な風貌と生活の女王様が多く生息していました。

 

私も、毎日出勤すれば楽に10万もらって帰れるので働いてはDCブランドの服やアクセサリーを買い、遊び、派手に暮らしていました。

 

そんな明日のことすら何も考えていない小娘の私に、最初の指名客が出来ました。

それは白髪交じりの髪を生真面目に撫で付けた初老の男でした。いつも折り目のついたスラックスに白いシャツを着て時々ジャケットまで羽織って小綺麗な身なりで週に1回会いに来ました。

そして、まだ女王様プレイもさせてもらえるようになったばかりの私の足元に三つ指をつき「奴隷にしてください」と頭を下げるのです。

当時奴隷がどういうものかもわからなかった私に、私の中に真性Sの素質を感じたとか熱心に話してくれました。

最初は毎週通ってくる上客が何をして欲しいのかを知るために、その男が言うことを素直に聞いていました。

その男はFと名乗っていて、民営化された公社で働く堅い男でした。

最初は簡単なことを希望してきます。

私を踏んでください。

椅子のように使って下さい。

などと。

それから徐々に私の世話をしたいと言って、白い木綿で出来たフリルのついたエプロンを持参するようになりました。

ルームに入るとエプロン奴隷になります。

私はその男にいじわるな気持ちが沸いて来て、バケツ一杯の水を汲んで来させ小柄でひ弱な体でよたよたと水で重くなったバケツを一生懸命私の元に運んで来た所を取り上げて30畳のルームにぶちまけます。

雑巾をFに投げて「全部綺麗にしないとお仕置きよ」と命令し、大きな籐の椅子に深く座り足を組みます。

その私を正座し頭を低くしたまま上目遣いで見てから雑巾を拾い、予約した時間のほとんどを拭き掃除に精を出します。

残り時間がわずかになった所で時計を見て、仕方なしにFを床に転がし顔の上に座り

息苦しそうに呻く喉の震えを尻に感じながらFの股間を素足で叩くと白髪交じりの陰毛の中に申し訳なさそうな屹立を覗かせます。

その哀れな様子を私が笑うと、Fはより一層充血して「夏樹様触ってもよろしいでしょうか」と必死に尻の間に隙間を見つけて訴え私が「見ててやる」と言うと嬉しそうに

より一層うめき声をあげ大騒ぎして果てる、そんなプレイをするMでした。

 

そうするうちに、Fは私に本を買って持ってくるようになりました。

特に家畜人ヤプーを読ませたがっていて、私の感想を聞くのを楽しみにしているようでした。

 

女王様はこのように奴隷を扱って欲しいのだと、興奮気味に話していたのを思い出します。

 

それから、私が23歳になったぐらいに妊娠がわかりました。

プレイも覚えて他にも指名客が出来、順調に行っていた時でした。

お腹が大きくなるまでは働こうと妊娠がわかってからもプレイを続けていましたが

ある時プレイ中に出血して流産しかかりSMクラブを辞めることにしました。

 

Fの夢は私の奴隷として、お店でのプレイではなく一生私に仕える事でした。

その頃には私はFのことを可愛いと思う気持ちを持つようになっていたので、お店を辞める前にFを食事に誘いました。

嫉妬深い男と一緒に暮らしていたので、二人で会う時間を作るのも苦労した気がします。

中洲の入り口にあるカニ料理の店で、会いました。

 

当時は客とお店以外で会うことは店外デートだと言われ厳しく禁止されていたので初めてのことで、Fもとても緊張しているようでした。

言葉少なに料理を食べ、酒を飲み1、2時間ぐらいが過ぎFは私に「いつか女王様として戻って来てほしいです。もしその時が来たら・・・」と、自分の本名と勤めている会社の電話番号を教えてくれました。

 

 

それから数年経ち・・・

離婚する時、子供も家もお金も全て失い本当の身体1つで人生を再スタートすることになりました。

住むところもないので焼き肉屋に住み込みで働き、食べるものはまかないですませ毎月のお給料で洋服を揃えていくという日々。週6日16時から朝4時まで働いてもお給料は月14万。子供連れの客が来ると泣くのでいつも店長から叱られ、何とも情けない状況でした。

これでは人生を建て直せないと、スカウトされた寮のあるラウンジで働くことにしました。SMには慣れていましたが普通の会話など出来るハズもありません。

くだらない世間話に笑顔で相槌を打つのも辛く、自分は一体どうしたら良いのかと途方に暮れたものでした。

 

そんなある日、Fのことを思い出しました。

最後に一緒に食事をしたカニ料理の店の前を通りかかりながら、Fが言った

「戻って来て下さい。その時にはここに電話をしてください」という言葉を思い出したのです。

 

電話ボックスに入って、番号案内でFの会社の番号を調べました。もらった紙はとっくの昔に捨てていたので。

早速案内された番号にかけ、Fの本名を告げつないでもらうよう伝えました。

本当につながるのか半信半疑でしたが。

 

しばらくして、電話口に男の声が聞こえてきました。

「私。」

「はい?」

「わかる?私」

「いやちょっとわかりませんね」

「夏樹」

「・・・・・」

男は電話の向こうで固まっているようでした。

うろたえたような声で何かを言っていました。

よくは覚えていませんが。

 

それから、私の働いていたラウンジに呼びつけました。

 

指名客などいないやる気のない従業員だった私に「ご指名です」と店の人が告げます。

 

申し訳なさそうに体を小さくしてFが入ってきました。

 

数年ぶりの再会でした。

 

Fは、とても嬉しそうでした。

 

「まさか呼びつけて頂けるとは」と。

 

私はFの飲んでいるウイスキーの水割りが入ったグラスを手に取り、周りに見えないようにそっとグラスに唾液を垂らしました。

有難そうに、飲む姿にザワザワとして感覚が蘇るのを感じます。

他の女の子に見えないように、テーブルの下でFの足をヒールで踏んでみました。

Fは驚いた顔をして声を出さないようこらえています。

その様子がたまらなくて、人生全てに諦めを感じていた私の心に力が沸いてくるようでした。

 

 

それから、Fはその店に通うようになり

暇な日は周りからはFに私が甘えるように寄りかかりながらFの腹を殴りました。

ロックグラスをトイレに持っていって聖水をテーブルに置き、他の人が見ている前で飲ませました。Fは両手でグラスを包み噛みしめるように嬉しそうに飲み干すのでした。

 

 

別の日、その店に来た客が風俗店を経営していて私が働いていたクラブのママを知っているというので、その場ですぐに電話させました。

数年ぶりにママにつながり、後日移転したかつて働いたクラブへ行きました。

SMをしたくてたまらず夜の店が始まるまで、とか夜が休みの日にSMクラブに出るようになりました。

 

お金も家も何も持たない私はまた、自分のプレイで一つ一つ暮らしを建て直していくことになります。

 

今まで何度も全て失い貧乏することがありましたが、その度自分のSMだけで全てを取り戻し自己実現してきました。

 

そんな私のSM人生の最初に、私を育ててくれたFという奴隷がいてくれたことを

今は感謝しています。

 

Fとの話はもう少し続きますが、それはまた別の機会に。