21歳からSMの仕事を始め、30年経ちました。
自分が生まれた意味も感じられず、生きる目的も持たない人間が
SMに出会い自分の居場所を見つけました。
人を愛する事、人を憎むことを知りました。
そして
長い年月をかけて私のSMから学んだ最大のものは
「赦すこと」でした。
自分を否定し、自分を憎んで、孤独の中刹那的に生きる。
そんな虚しい生き方しか知らなかった人生でしたが、SMを通して人/Mとの関り合いの中で赦すことの持つ力を知りました。
人を赦すこと、自分を赦すこと。
それはあるがままを受け入れることではないでしょうか。
SMという仕事は誰にも言えないような恥ずかしい願望を叶えにプロを求めてくれる人たちに「それでいいんだ」と言い続ける仕事だと感じています。
日常で自分のペースで上手く呼吸が出来ず肩で息をしながら必死で生きている人はとても多いです。
その中で、ダメでも誰にも必要とされていないと感じてもそのままのめちゃくちゃな自分で良いんだと受け止めてくれる人や場所があることは生きる勇気になったりします。
それが「赦す」ということなのだと、年々強く感じるようになりました。
私からMの人生に介入していくことはありませんが、求めてくれる時はいつでも帰ってこられる港のような距離感で多くの人たちと関わってきました。
Mにとって苦しくなったらエネルギーを補給する場所、赦される場所で居続けたいと願いながら。
昨年50歳という年齢を迎えてみてふと気づきました。
私は自分の為に生きているのかと。
人を赦すことで自分が赦されることばかり考えていたのかもしれません。
誰かに必要とされることで生きて来た結果、本当に自分らしく生きるこの先の道を見失いかけていました。
それすら気づかない程に、セックスワーカーという囲いの中でだけ自分の生き甲斐や存在意義を見出そうと視野が狭くなっていたのかもしれません。
それに気づかせてくれた人には感謝しかありません。
一度、自分がやっていることを見つめなおすことにしました。
すると
好きで大事に続けていたことの中には
「頑張りたい、けど」
「好き、だけど」
と言うように、「けど」が付くものがいくつもあることに気づきました。
じゃあなんでやってるの?
そう聞かれると、大義名分ばかりが口をついて出て「I want」だけが理由では無いものが多いのです。
単純に自分の望むもの、自分主導で動くことを忘れていました。
幸せは主体的なものの筈なのに。
いつの間にか立場的な責任感や義務感、苦労した時間の分生まれた仕事への執着心、誰かが寂しがる、悲しむ、そんなことから動くことの方が多いことに気づかされました。
やりたくないプレイ、やりたくないショーも全部誰かの為という理由でやっていたりもしました。
SMは好き。だけど・・・と言うような理屈がついてくるものだったのだと思います。
シンプルに生きているつもりだったのに。
シンプルに生きたいのに。
本来の自分に戻って人生を描いてみたい。
じゃあ、私が本当にやりたいことは何か。
本当にやりたいことしかやらない人生を選んでみても良いのではないかと、50年という節目を迎えてやっと自分のワガママではなく自由に生きてみたいという子供のようなシンプルな思いに変わりました。
セックスワーカーであることが足枷になっていたことも含め、全てから自由になってもう一度自分の人生を見つめなおしてみたい。
やりたかったけど出来なかったこと
やる前から諦めたこと
途中で放り出してしまったことを日々、明日死ぬつもりで1つ1つやってみようと思い始めました。
そして、今年の12月でSMクラブを閉めてプレイヤーとしても引退することを決めました。
自分が人生を変えてもらった大切なSMの世界を、美しいまま未来に渡したくて頑張っていたこともそれを望む人が現れないなら只の私の願望の押し付けでしかないと思いますし
私の考える古き良きSMでは飯が食えない時代なら、そこに必死に食らいついて一人前になる人材も残らないのだと感じています。
そういう訳で、後進の育成のためにと作ったSMクラブは無理に存続させる理由もなく、いつまでも私が現役でプレイする理由も残っていませんでした。
セックスワーカーを完全に辞めると言う決断をしてみると、不安が襲ってきました。
いつも誰かに求められることが収入にも反映されて来たので誰かに求められることをしなくても良い生活が想像できませんでした。
仕事の為にやっているSNSの更新は苦痛でもなんでもなく生活の一部になっていますし、Mの人たちとコミュニケーションを取ることも無意識のうちに反応するぐらい体に沁みついています。
性にまみれた人生を送って来た自分がその世界から出て、生きていけるのだろうか。
これは金銭面の不安ではなく、精神的な部分の漠然とした不安です。
性で繋がることだけが真実のように生きて来た自分がセックスワーカーを卒業すると言うことがどう自分に影響を及ぼすのか、今はまだわかりません。
考えれば不安は尽きません。
でも、退路を断って前に進むことを選びました。
今日死ぬか明日死ぬかもわからない。
ならば、前のめりに倒れて口元に笑みをたたえて死にたいと思います。
これから、性とは違うコミュニケーションの世界にはなりますが
何かの形で皆さんとまた関わることが出来れば嬉しいです。
人生100年だとすれば、ほんの一時の花を換金する道を選んでいる夜職やセックスワーカーの方たちが未来を描こうと思った時の、セカンドキャリアを拓く時の、希望に繋がれば...この挑戦が本当の意味を持つ気がします。
とにかく、頑張ります。
その様子は失敗も成功も、皆さんにお見せできたらと思います。