心の果て
ともすれば月すむ空にあくがるる
心のはてを知るよしもがな
空の果てを知る人がいないように
自分の本当の考えをわかる人はいないと思って生きてきた。人は様々な感情と同居しながら生きる複雑な生き物。だからほんの一部分でも、ほんの一時でも暖かく共有出来る人が居ればそれだけで幸せなのだと思う。
求めすぎる人はいつも足りなくて不幸なのだ。
共有出来る部分がSMであったりセックスであったり、その他の趣味であったり、何でもいい。
寄り添える事は奇跡なのだと思う。
有り得ない事だと思うから感謝と言うプラスの感情を持てる。
今の時期SNS上では不満の言葉で溢れている。
国が金をくれない、生活が困窮しているのは誰かや何かのせい。自分が苦しい寂しいのも自分以外の何かのせい。
そんな他力本願というか依頼心の強い言葉を発することも考えを持つことも、誰も幸せにならない。
言霊なんてもので片付けたくは無いけれど、ネガティブな言動をする人からは離れた方がいい。
ただ、プラスの言葉と行動を続ける人や投げかけられる事象に応えるだけでいいと思う。
立ち止まっている時間も人を妬んだり批判している思考もプラスには繋がらない。
批判や陰口で寄り集まっても心が荒むだけで一時的なストレス解消に思えても心には毒だ。
最初から無いものだと思えば幼稚な期待もせず依頼心もなく、思いがけず触れる暖かい気持ちや前向きな情熱に感動や感謝が生まれる。
私はそんな風に生きるのが心地よい。
誰かに依存すれば自分も周りも不幸になる。
自分を好きで居られて、他の人も愛せる生き方を探す時間を持つ方が好きだ。
立ち止まって空を見上げると
空はどこまでも遠く広がっている。
青い空に心が解けて吸い込まれていく。
長く仕事でSMをしていると時々大事なことを忘れてしまいそうになる。特に誰かに仕事としてのSMを教えていると。
仕事は経験則から、ベストの方法があると思う。
だけどライフスタイルとしてのSMにベストな形も正解もない。
仕事ではなく「私はどう生きたいのか」
目を閉じて深呼吸して改めて考えてみる。
私は私らしいSMを広めたいわけでも探しているわけでもない。SMと言う性癖を抱えて嘆息しながら生きている同好の士がSMによって傷つくことが無いようにサポートはしたい。
だけど私を押し付けるようなことは望んでいない。
ただ、自分らしい生き方を探し続けたい。
尊重し合えて並走出来る人が居るなら幸せだし
そうじゃなくても私は空を見上げて空に憧れ続ける。子供の頃からずっと。
永遠に手の届かないものに憧れて追い掛け続けるのが恋ならば、私は永遠に空に恋をする。
自由に自分の心の真実に向かって進んでいきたい。
熱く強く、繊細で自由に自分の心に従い生きた西行のように。