そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

永遠の純愛(過去のコラムから)2005年頃

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よく、SM雑誌の取材等で聞かれる項目の中に

「SMとは?」という質問がある。

私は「純愛。」と答える。

 

昔、奴隷が言った。

「SMは考えることが出来る頭と言葉を持つ、人間だけが楽しめる高尚な遊び」だと。

性交は虫でも動物でも出来る。

でも、SMは繊細な感情と感覚を持つ人間だけに許された行為。

だから

単なるヌキのSMは好きじゃない。

犯して射精させる行為の中に、頭で感じる「何か」が無ければ普通の性風俗と何も変わらない。

私がSMを始めた頃は、SMは「風俗」ではなかった。(法律で)

人の心の奥底にある、純粋でドロドロした生身の「自分」と結びついた頭の中で楽しむ行為だと思う。

SMの小説は世の中にたくさん存在すると思うが、大抵のそうした小説は風俗に思える。
SMなんてカテゴリーも存在しない、大昔の文学の中にこそSMは存在すると思う。


直接的な性交の描写が無くても、SMは成立すると思う。
むしろ、その方が本格的なSMだと思う。


だから私は奴隷とはほとんどプレイをしない。
全くと言ってもいいかもしれない。
私の好きなSMは、奴隷の心を本当に支配すること。
支配というと、受取り方によって違う印象を持たれるかもしれないけれど
私の言う支配は、母親になるような感覚。
奴隷の社会的地位も年齢も全く頭の中には無く、私の目の前に居る時は小さな子供に見える。


可愛い、憎らしい、誇らしい。
色んな気持ちが湧く。
奴隷になるということは
「自分を捨て、主人の所有物になること。」
私はSMを止めていた時にクリスチャンとして献身した。
その時、私は神の奴隷として生きていた。
奴隷になるということはクリスチャンの献身に似ていると思っている。


私は、私を求めてくれるMの中で
本当に純粋に心の叫びを私に対して発してくれているMだけを奴隷にしようとしてきた。
私だけを真っ直ぐ見て、心の救いを求めてくれる。
この気持ちが無ければ、女王様である意味も奴隷を作る意味も無いと思う。


私の前に居る、弱々しい存在。
体は立派な大人だけど、心が小さな子供のように大きな声で泣きじゃくっているように見える。
無様で惨めで利己的で、形振り構わず私を求めてくれる。


だから、私は生きていられる。


愛され、愛を注ぐことが
私の存在理由。


人間は愛が無ければ生きていけない。
言葉は臭いけど、真実だと思う。


私は愛をもらい、愛で生き返った。
今は、愛を与え、愛をもらうようになった。


SMはプラトニックであるべきだと思う。
直接的な体の繋がりを持ってしまえば
精神的な繋がりに対して、切ない程ひたむきに追い求めることができなくなるから。


年齢も性欲もエゴも全てを取り払って
純粋な、心の根っこに触れ合うのがSM。


世の中で、他にそんなことができるものは
そう無いと思う。


人間の一番汚い部分を見せ合って
認め合って、愛し合う。


こんな強い絆は、そう築けない。
だけど、人の心は脆くて
強い絆も簡単に千切れてしまう。
体の繋がりが無い分
心を信じられなくなる。


疑念を持ったら最後。


純愛が曇ったら最後。


本当に汚れた世界になる。


昔は熱く、完全に結びつくことが出来る!と信じていた。
でも、人の心の脆さを感じて見えてきたのは・・・・


SとMの絆は強い結びつきだけど、ほんの小さなひっかかりでぶら下がっているようなものだと。


疑念で揺れ始めればすぐに切れる。
まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のよう。
揺らさないよう、気に掛けてあげることしか出来ないのが歯がゆい。


いくら「一生側に居る」と約束しても
奴隷の心のレンズが、他人によって曇らされたり
自分の中のエゴで曇ったりしてしまうと全てが信じられなくなっていく。
肉体の繋がりが無い分、怖くなるようだ。


SとMは、哀しい。
愛しているのに、愛で繋がっているのに
蜘蛛の糸を切ってしまう・・・。
人の心の哀しさ。


儚いから美しいのがSMでもあるのだけれど・・・・。


愛した奴隷との関係に苦しんで苦しんで
それでも一緒に生きていこうと思った。


そうする為に、鞭を打った。


心が曇らなくする為に、

邪念を払う為に、

愛する為に。


鞭は純金を精錬する火のようだ。


何千度という灼熱の炎で熱して初めて


不純物が取り除かれ、


純粋な「金」が取り出せる。
鞭=痛みも同じじゃないかと思う。


痛みを与えて与えて与えて・・・。


心を熱する程の痛み。


日頃の仮面を外さざるを得なくなるほどの痛みでなければたどり着けない「心」


痛みの果てに、手にするものは美しい「純粋な心。」


痛みで心を精錬して、愛を取り出す。


私と、私の愛する奴隷達にとって


鞭はそんな大きな意味を持つ。


常に美しい心で、愛し合いたい。


だから


ずっと


「永遠の純愛」


で居て欲しいと思う。
そのバランスをとり続けるのが、SMかもしれない。


SMは欲望を理性でコントロールする遊びでもある。


これについてはまた別の回で・・・。