そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

PASSION

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9/17 DX歌舞伎町で行ったイベント、PASSIONについて。

(はじめに)
文章をきちんと考えようと思うとつい時間を掛けてしまい結果的に書かないまま終わってしまう事が多いので
今回は殴り書きのように、忘備録として思ったことを書こうと思います。
汚い文章であることをお許し下さい。

 

今回のイベントは時間が短いという事なので、出来る事が限られていました。
そこでやるべきかも含めて悩みました。

ただ、今回はどうしても舞台に立たなくてはいけない理由がいくつかありました。
自分の中に意味を見いだせている以上、精一杯やろうと決めました。


「愛ちゃん」

愛ちゃんとは7月に一緒にショーをやった時に感じた、彼女の心の硬さと辛さ。
もっとダメになって、もっと甘えて、もっと弱くなってもいいんだ。
そんな思いを語り掛けました。

生きて行く上で、人に見せたくない自分、誰かに観て欲しい・知って欲しい自分の本当の姿
様々な自分を抱えて生きています。

SMの関係では、全部を見せ合い全部を奪ったり捧げたりする関係もあります。
昔は私もそのような関係しか望まず、魂を燃やし尽くすようなSMに没頭していたことがありました。
でも今は、純粋に「SM」として出来ること、SMの関係の中で支えられることに出来るだけ集中できるような
関係を築くようになっています。
それは長く関係を続けたいという気持ちと、歳を取ったせいか主人としてパートナーの人生の澱のような心に溜まって行く濁った感情や苦しみを受け取る立場でいることに深い悦びを感じるようになった為かもしれません。

SMの関係の中で、その役割を全うしながら支えていくことを考えた時
相手が望まない限り私から相手の普段の生活に踏み込まないようにしています。

どんな仕事をしているか、年齢はいくつか、毎日何をしているか、そんな事はSMにとっては必要ないのです。

パートナーと会って、肌に触れ、目を見つめるだけでいいのです。
縄を体に這わせると相手の心の声が私の中に流れ込んで来るのを感じます。
わめくほど大きな声で苦しんでいる声だったり、怯えていたり、悦びを渇望している声だったり。
その時その時で色んな声が聞こえて来ます。

縛りを変え、責めを変え、その声の変化に耳を澄ませます。

声が止まれば聞きに行き、弱音を吐き過ぎれば叱り、もうこれ以上何も言わなくていいよと頭を撫で
静かに縄を通して心を交わす会話が進んで行きます。

心に何かのしこりがあれば、この会話はとてもぎこちなくなります。

しこりは、普段の生活の悩みや体調の影響で出来ることも多いのですが
私はそれを聞こうとは思いません。

縄が私と彼女たちを接続してくれる、その接続を通じて流れる情報だけでいいのです。
縄を通じて交わす言葉だけで心と心が話せるように、心のコアに触れる瞬間を目指して縄が想いを精練していきます。

今回愛ちゃんとは、その会話をもう1度しっかりじっくりやり直そうと思いました。

人は誰でも無心で居続ける事が難しい生き物です。
パートナーとつかず離れず、一緒に居られる時間をいつまでも大切に思えるように
何度でも関係を、会話を、見つめ直しもつれ始めた縄筋を正すように関係を積み重ねて行きたいと考えています。

「アスカちゃん」

アスカちゃんとは今回トリでプレイらしいショーをしてみようと思いました。

アスカちゃんとショーをやるようになり1年掛かって、ようやく恐れを越えて「もっと信じたい、ついて行きたい」という気持ちを前に出してくれるようになってきたので、もう1段階上に行くべき時期かもしれないと考えトリをアスカちゃんにしてみました。

そんな時彼女に、人生の中で恐らくその時代で一番大きいであろう悲しみが訪れました。

彼女から助けを求めてくれて居ても立っても居られず、顔を見に行く約束をしました。

約束をしてから、実際に顔を見るまで彼女の辛い思いが気掛かりで胸が苦しくて苦しくて眠れず
ずっと彼女のことを考えていました。

次の日ようやく顔を見てホッとしたものの、何もしてやれないもどかしさに拳を握りしめました。

そこで考えました。
SMのパートナーの私たちには舞台の上でしか出来ない会話があると。

同じ女として、彼女の人生を考えた時
どうしても乗り越えて欲しい痛みだから、彼女が私の手を必要とする限り
その手をしっかり捕まえて、一緒に前に進んで行こうと思いました。

そしてもしこれが最後だとしても、その思いを全部ぶつけようと考えました。

絶望で食事も喉を通らないだろうし、外に出るのも辛いような悲しみの中、
アスカちゃんはしっかりとした足取りで劇場に出てきてくれました。

すっかり痩せて細くなった彼女の首を見て、また胸が苦しくなりました・・・。

 


ずっと、彼女のことを考えながら曲を選んだ今回のショーは
マタイ受難曲から始まります。
キリストの受難を取り巻く思い。
沢山の人の苦しみ悲しみ、そしてその先にある希望。

それはまさに私たちの人生と重なります。

苦難の大きさは違いますが、それに際した思いは繋がっていると思います。

受け入れなくてはならない苦難、それは先に希望を得る為。

強くなって、復活して、進んで行こう。

縛りを進めて行きながら、最後の方は縄だけでなく口から言葉が溢れていました。

「強くなろう」
「生きよう」
「生きて行こう」
何度も言いました。
手を繋ぎながら。

SMは残酷でエロティックな世界ではありますが、私はSMの向こうに、その本質的なところに
人間同士の心を剥き出しにする純愛だけが残る美しい世界があると信じています。

商業的なわかりやすいSMは出来ませんが、「生きている」「生きて行く」SMを体現して行きたいと思います。

縄はそれの為に欠くことのできない自分の体の感覚器官の一部です。

SMを愛し、緊縛を続けて行きたい。そんな静かに燃える熱情を舞台の上に乗せた1日でした。