そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

消えていく縄

全体の構図を考えて縛りを仕上げていくのはプロとして当然のことだろう。

ではいつも何を目指して縛りを考えているか。

私はいつも、縛りによって引き出される相手の湧き上がるような美しさを見る為に縄を掛けている。
人をデザインの一部にするならば、何も厳しい責めである緊縛でなくていい。
緊縛することで導き出されるものが、心の奥底に閉ざされた限りなく人の本質に近い姿だから美しい。

苦しみの中で解放されゆく、法悦に似た穢れのない顔は他の何の場面とも置き換える事ができない特別の美だ。

今まで沢山のカメラマンに写真を撮ってもらって来たが、みな共通して縛りの形よりもパートナーの表情の変化を撮ってくれていることが多い。
写真によっては、そこに縄が存在しないかのように目と目で会話をしているような写真も多い。
勿論、みな縛りを撮ろうとしてくれているのだけれど、縛りの全体像の写真は少ないことがある。
それは、ファインダーを覗く人の目がパートナーの変化に惹きつけられるからではないだろうかと考える。
事実私も舞台上で見るパートナーの穢れない気高い美しさにハッと呼吸を奪われるのだ。
責められて弱弱しい姿を見せるのではなく、責められる程に強く気高く美しさが立ちのぼる。

私は縄を掛けながら、相手の中にキラリと輝く真実を慎重に探し、厳しくしたり優しくしたり縛りを変化させながら心を掘り起こす。
彼女の中に眠っている、美しく気高く輝く彼女自身を。

それが見えた時、縄は消えていく。

縄は道具であり、心に触れる手段だから
心に触れることができた瞬間
二人の間にも、
カメラマンの目にも
縄は消えていくのだ。

そこに残るのは二つの心。
輝きを放つ彼女の命だ。

 

2016 3/10