そらになるこころ

緊縛師 青山夏樹のSMや緊縛に関する思いを綴るブログ。内容重めです。

縛りのもたらすもの

私は、相手を縛る前はあまり相手の目を見ない。
緊縛の場合はプレイ前にじっと相手の目を見ることでかえって色々考えさせたり、緊張させたり身構えさせたりしないためだ。(女王様プレイの時はプレイの導入部分からじっと目を見ることでマインドコントロール状態にさせるようなことはあるが)


相手の体に触れるだけで、縄を手にしただけで私の手は縄と一体になり
目で見る以上に相手を感じる。
もしかすると目で見ることは視覚情報で本来感じるべき心の機微を見落としてしまうかもしれない。

縄を介する感覚は、視覚情報よりもっと鋭い。

縛る前、まず筋肉の付き方を確かめるために体に触れる。
そして次に縄を掛ける。
すると電気信号のように鋭く、相手の感情が自分の中に流れ込んでくる。

悲しかった、寂しかった、甘えたかった、苦しかった・・・

言葉にできない感情がヒリヒリと胸を突きさす。

その感情が辛すぎて、自分が涙を流してしまうこともある。
本当に辛い。
辛い心に、辛い責めなんてしたくないと思う時もある。
そんな時思うのは、いや、いつもそうかもしれないけど
縛りは相手のためにやっているんだと思う。

私は縄を通して相手の一部になる。
相手の心の声を聴いて相手の望みに近づく手伝いをする存在になる。
呼吸が重なり、汗が体を繋ぎ、一つの存在に溶け合っていく。

誰かを思う時、人は無私の状態になるという。
自分を無くし相手を思う。
縄で繋がる時間相手の全てを受け止める。
そんな感覚が冴えわたる時間が大好きだ。

自分のSとしての欲望を満たすため、というよりも相手の心をどうにかする手伝いをする
そんな感覚で縄を手にしている。
サディストとしての自分を満たすには縄など要らない。
ただ、縄によって会話をした先に一瞬見せてくれるイノセントな表情が自分を満たしてくれる。
だから縛る。

私の縛りはやはり、吊りの中で縛りを受けてくれる相手と一緒に限界の先を目指す事なのだと思う。

ここまで、と感じるところに辿りつく途中相手の心がくじけそうになったら目を見る。
一緒に山を乗り越えたら抱きしめる。

それが自分にとっての縛りだ。

視覚を越えた感覚のもたらす一体感は何物にも代えがたい。

2016 2/20