1991年にSMの仕事を始めてから、仕事にはいつも縛りが関わってきました。
もともと「調教」に興味はあっても、「緊縛」というか「S男性」に興味がなかったので
特別緊縛の世界にのめり込むことは無く、仕事で必要な縛りを習って覚える。
そんな感覚でした。
ただ、吊りは特別な興奮がありました。
相手が宙に浮いた瞬間から、この人の命は自分のものになるという征服感に満たされ興奮するのです。
SM初心者のお客さんや照れが入ってしまうようなプレイスタートでも、一発吊り上げると途端にスイッチ
が入る人も多く、吊りの魅力にハマって行き本格的にショーで吊りをするまで特訓することになりました。
ところが、生まれつきが左利きで右利きに直されたせいか、縛りを習っても頭では理解しているのに
実際に縛ると手が邪魔をするという意味不明の状況に直面しました。
そこで、ショーでの吊りは二の次で(鞭と顔面騎乗や蝋燭のみのショー)空いている時間に縛りを練習しました。
自分の脚だったり、恋人であり奴隷だったパートナーの体で練習したり。
仕事中は先輩の使った縄をただただ綺麗にまとめて片付ける。
門前の小僧習わぬ経を読む、というようなもので日々先輩がたの縛りを見る機会に身を置いているうち
体が感覚を理解するようになっていきました。
その頃には、毎日片付けばかりやっていたお蔭で手が縄の感覚を覚えました。
半年ぐらいかかって、ショーでも混乱しなくなったと覚えています。
緊縛師の弟子入りを決めたきっかけは、当時の師匠の縄目まで理解して縄を扱う技術を知ったことが
きっかけでした。
弟子入りすることを認めてもらうまでに半年か、もう少し掛かった気がします。
当然ショーにも出て仕事で縛りをやっているので、少しは自信がありました。
けれど、弟子入りして直ぐに「まずその女王様縛りを止めろ」と言われました。
これを受け入れられなくて、理解出来なくて随分困りました。
そして、弟子入りに当たって出された条件が
「縛りを金を取って人に教えるな」
「少林寺拳法を習え」
でした。
これもあって、緊縛事故の問題を考えるようになるまで誰かに縄を教えるビジネスをしようとは一切考えませんでした。
少林寺拳法を習え、は元々緊縛が逮捕術から来た技術だということでした。
小さい力で相手を倒すことを学ぶ、これが今も自分の縛りの理論に生きています。
弟子ですから、師匠の道具の手入れ、現場について雑務全般を手伝わせてもらう。
こういう事を繰り返します。
現場での仕事のやり方、縛りの方法を日々勉強させてもらうのです。
緊縛師の修行は、緊縛講習会のように「これをこうして・・・」という教え方はありません。
ただ、師匠の縛りを見て「これは!」と気づいた時に
「やっとそれに気づいたか」と
その理由などを教えてもらえる、という繰り返しです。
一番長く掛かったのは「縄目」の感覚でした。
やって良いと許可が下りるまで一番長く時間が掛かった吊りは「月下美人」でした。
この吊りには、縛りの技術の全てが詰まっていて、どこか1mmでも外せば直ぐに事故になるような
危険な吊りなので、出来なくてシステムにアレンジを加えたいと何度訴えても首を縦に振ってもらえることはなく
泣きながら練習した、修行の卒業検定のような吊りでした。
今となっては色々と歯がゆい部分もある思い出ですが、きちんと何年もかけて1人の師匠に
弟子入り出来たことは今でも私の誇りです。
それと同時に、自分の趣味として緊縛の歴史に関する古書を蒐集することを趣味にし
縛りを知りたいと狂言のお稽古に通うようにもなります。(この理由は「現代緊縛入門」に書いてます)
縛りの研究に夢中で、緊縛師として独り立ちしてからも研究の情熱は尽きる事がありません。
ブログなどで、少しずつ私の知っている興味深い情報をお届けできれば良いのですが
すぐに、書くことを忘れてしまうので気長に待っていてください。